タイトル: 「十字架の処刑について」 K・Yさん
いかがお過ごしでいらっしゃいますか。キリスト改革派教会提供あすへの窓。水曜日のこの時間はBOX190、ラジオを聴いてくださるあなたから寄せられたご質問にお答えするコーナーです。お相手はキリスト改革派教会牧師の山下正雄です。どうぞよろしくお願いします。
それでは早速きょうのご質問を取り上げたいと思います。今週はK・Yさんらのご質問です。携帯からのメールでいただきました。お便りをご紹介します。
「こんばんは。ラジオでは受信出来ないので携帯で読ませて頂いてます。本当にありがたい事です。
さて、本題ですが… イエス様は十字架で掌に杭を打たれたものと思っていましたが、最近、手首に打たれたと何かで読みました。本当はどちらでしょうか…。よろしくお願いします。」
K・Yさん、メールありがとうございました。「ふくいんのなみ」携帯用サイトをご覧になっていらっしゃるんですね。ありがとうございます。今回の放送もそのまま原稿を掲載していますので、ご覧になっていらっしゃることと思います。
さて、十字架刑というのは古代社会ではもっとも残酷な刑罰として知られています。磔けの刑というのはもともとはペルシャで始まったそうですが、ヘレニズム・ローマ時代になって死刑の方法として広まって行ったようです。ただし、この十字架刑がローマ市民に対して執行されたとする記録はありません。
磔けに使う木は必ずしも十字に組まれるとは限りません。一本の柱であったり、T字型であったり、いろいろな形がありました。イエス・キリストが掛けられたのは、罪状書きの板を頭上に掲げる必要があったので、おそらく十字に組まれた木に掛けられたのではないかと考えられています。
ところで、十字架刑は決して普通の死刑の方法ではありませんでした。イエスの時代からはちょっと後の時代になりますが、ヨセフスというユダヤ人の歴史家が書いた『ユダヤ古代誌』によれば、ローマに反逆した熱心党のユダヤ人が大量に十字架刑に処せられたことが記録されています。ここからも、分かるように十字架刑というのはローマ帝国に反逆するような国家的な大罪に適用される処刑方法です。
ちなみにヨセフスという人はもともとはローマ帝国に対して抵抗する熱心党の考えに同調していた人物でしたが、後に寝返ってその考えを改めた人でした。そのヨセフスが描く『ユダヤ古代誌』の中では、熱心党の人たちは強盗呼ばわりされています。
ところでルカによる福音書の中で、イエス・キリストはユダヤ人からローマ帝国に対する反逆者として訴えられています。
「この男はわが民族を惑わし、皇帝に税を納めるのを禁じ、また、自分が王たるメシアだと言っていることが分かりました」(23:2)…これが祭司長や律法学者たちがイエスを訴え出る表向きの口実だったのです。ユダヤ人社会に対しては神を冒涜する者」として訴え、ローマ帝国に対しては「皇帝に対する反逆者」として訴えでたわけです。
その際、二人の強盗も一緒に十字架につけられたと福音書には記されていますが、そこで言われている「強盗」というのも、おそらく文字通りの強盗ではなく、ヨセフスが熱心党の人たちを呼ぶときに使う「強盗」と同じ意味なのだと思われます。つまり、あの日、三名の国家的反逆者が十字架刑によって処刑されたというのが表向きの歴史なのです。
さて、前置きが長くなってしまいましたが、十字架の処刑の方法については非常に詳しい記録があるというわけではありません。二次的な文献からの孫引きになってしまいますが、だいたい次のような方法で刑の執行が行なわれたようです。
まず、処刑場には十字架の縦棒が既に建てられています。受刑者は十字架の横木を担がされて、処刑場まで歩かされます。イエス・キリストも十字架を担がされたことが福音書に記されていますが、これは縦横に組んだ十字架ではなくて、十字架の横木だと考えられています。
処刑場につくと、受刑者は自分が運んできた横木に釘付け、あるいは縄で固定され、その横木ごと釣り上げられて、既に立てられている柱に固定されるそうです。立木の高さもいろいろあったようですが低い物は受刑人の足が地面からそれほど離れないぐらいの高さであったようです。
さて、ここからがいよいよご質問の核心に迫るわけですが、ヨハネによる福音書20章27節によると、復活のイエス・キリストは弟子のトマスにこうおっしゃいました。
「あなたの指をここに当てて、わたしの手を見なさい」
おそらく何の先入観もなくこの言葉を聞いたなら、だれでも、手のひらを開いたキリストの姿を思い浮かべるのではないかと思います。実際のところ、ここで使われている言葉だけからは、それが手のどの部分なのかは限定することができません。ただ、少なくと言えることは、手のどこかの部分に釘跡があったということです。つまり、縄で横木に固定されたのではなく、確かに釘で打ち付けられたということだけは確実に分かります。
では、釘は手のどの部分に打ち込まれたのでしょうか。残念ながら福音書にはそれ以上の記録がありませんので、実際にどこに釘が打ち込まれたのかを確実に言うことはせきません。
K・Yさんが、何かの本でご覧になったように、手首に釘が打ち込まれたのではないかという意見は色々なところで目にします。それは、一つには、手のひらに釘を打ち付けて横木に固定した場合、手のひらが体重の重みで裂けてしまって、固定できないからだというものです。確かに、十字架にはある程度の体重を支えるように足台のついたものもあったようですし、また、じっさいにはロープで体を固定するような工夫もされたようですが、それでも、手のひらには軟骨しかなく、体重を支えるには十分ではありません。ですから、手のひらに釘を打つということはなかっただろうという推測は理に適ったものです。
しかし、それだけでは、イエス・キリストの手のどこに釘が打たれたのか、まだ十分な推測の根拠にはなりません。
実は、十字架に掛けられた男の骨がエルサレムから発見されました。イエスの時代とほとんど同じ時代のものと思われています。その骨の傷跡によれば、手首を釘で固定されたことはほぼ間違いないといえるのです。ですから、同じ時代に十字架に掛けられたキリストも、同じように手首を釘で固定されたのではないかといわれているのです。