BOX190 2006年2月1日放送     BOX190宛のメールはこちらのフォームから送信ください

山下 正雄 (ラジオ牧師)

山下 正雄 (ラジオ牧師)

タイトル: 「不正な富で友達を作る?」 ハンドルネーム・パグさん

 いかがお過ごしでいらっしゃいますか。キリスト改革派教会提供あすへの窓。水曜日のこの時間はBOX190、ラジオを聴いてくださるあなたから寄せられたご質問にお答えするコーナーです。お相手はキリスト改革派教会牧師の山下正雄です。どうぞよろしくお願いします。

 それでは早速きょうのご質問を取り上げたいと思います。今週はハンドルネーム、パグさん、男性の方からのご質問です。お便りをご紹介します。

 「山下先生、こんにちは。わたしはいつも興味深く先生の番組を聴いている者です。きょうは前々から気になっていた聖書の個所について質問させてください。

 その聖書の個所というのは、ルカによる福音書の16章、『不正な管理人の譬え』という小見出しがついている個所です。とても興味深い面白い譬え話なのですが、結論部分と思われるところに出てくる言葉が腑に落ちません。

 『不正にまみれた富で友達を作りなさい。そうしておけば、金がなくなったとき、あなたがたは永遠の住まいに迎え入れてもらえる。』

 いったいこの言葉はどう理解したらよいのでしょうか。よろしくお願いします。」

 パグさん、メールありがとうございました。ルカによる福音書の16章に記された「不正な管理人の譬え」は昔から難解な譬え話として有名な個所です。ずっと前にもこの番組で取り上げたことがあると思いますが、今回もう一度取り上げてみることにします。

 ところで今、番組をお聞きの方で、この個所をご存知ない方のために、初めに簡単に譬え話の内容をご紹介したいと思います。こんな内容です。

 あるお金持ちに一人の管理人がいたというのです。その管理人はご主人様の財産を無駄遣いしてしまい、その不正が発覚しそうになってしまいます。困った管理人は何とかして自分の身を守ろうとして一計を案じます。それはご主人様に借りのある者たちを呼び集めてきて、証書の書き換えを行なうというものです。そうすれば、自分が首になっても、何とかその人たちが自分の面倒を見てくれるかも知れないというのです。

 そして、そのあとこういう言葉が続きます。

 「主人は、この不正な管理人の抜け目のないやり方をほめた。この世の子らは、自分の仲間に対して、光の子らよりも賢くふるまっている。」

 それから、パグさんが引用した言葉が続きます。

 「そこで、わたしは言っておくが、不正にまみれた富で友達を作りなさい。そうしておけば、金がなくなったとき、あなたがたは永遠の住まいに迎え入れてもらえる。」

 これが、きょうパグさんがご質問のあった譬え話の全体です。実は、実際ルカによる福音書を手にとって読んでいただくと分かるのですが、イエスの言葉はさらに続いています。それらの一つ一つの言葉が、この譬え話とどういう関係にあるのか、これもまた難しい課題です。きょうはそこまで話を複雑にしないで、問題の譬え話とその結論部分と思われる部分だけを見てみたいと思います。

 さて、譬え話そのもののストーリーは先ほど述べたとおりです。一人の男が、自分の身の上に降りかかってこようとしている危機的な状況から、必死で逃れようとする話です。この中心的なストーリーの線をまずしっかりおさえておく必要があります。この譬え話をややこしくしているのは、この男がとった手段が決して褒められるような手段ではないということです。確かにその部分を受けて、「主人は、この不正な管理人の抜け目のないやり方をほめた」と記されていたり、イエスご自身も「不正にまみれた富で友達を作りなさい」とおっしゃったりしています。そのために、この譬え話の中心があたかもこの男のとった不正な手段を肯定し、奨励していることにあるような印象をうけてしまいます。

 この譬え話の中心点は決して不正な手段を用いるということにあるのではありません。そうではなく、この譬え話にとって大切なポイントの三つです。一つは、まず、この管理人が置かれている状況が危機的な状況であるという点です。自分の働いた不正が今正に発覚してしまいそうな危機的な状況にあるのです。そして、二つ目のポイントは、その危機的な状況をこの不正な管理人が十分気がついているという点です。つまり、自分のした不正とそれが発覚しそうであるという認識があるのです。さらに、三つ目の大切なポイントは、その危機的な状況から逃れるために、なりふりなどかまわずに、何とかしてこの危機的な状況から逃れようとしている点です。これ以上のことをこの譬え話に読み込むとすれば、それはこの譬え話の意味を見失わせてしまいます。

 つまり、イエスがこの譬え話を通して訴えたかったことは、正に人は神の前に、自分の行いを申し開きしなければならない時が迫ってきているということです。そして、この不正な管理人のように、そのことを他人事としてではなく正に自分の上に起りつつあることと自覚して、備えをせよ、と言うことなのです。この管理人の様を見て、聞いている者たちが、自分の置かれている状況に気がついて、手を打たなければならないのです。そのことをキリストはわたしたちに期待しているのです。

 そこで、最初に述べられるこの譬え話の結論は「主人は、この不正な管理人の抜け目のないやり方をほめた」というものです。その抜け目のなさは「光の子らよりも賢くふるまっている」とさえ言われます。しかし、これは決してこの不正な管理人のやり方を真似るようにと奨励してるのではありません。そうではなく、この世の人間でさえ、自分の危機的な状況には必死で対処するのですから、光の子らであるキリストの弟子たちは、なおさら賢い方法でこの危機的な状況から逃れなければならないということなのです。

 そこで、もう一つ出てくるのがキリスト・ご自身がこの譬え話を結ぶに当たって述べた言葉です。

 「わたしは言っておくが、不正にまみれた富で友達を作りなさい。そうしておけば、金がなくなったとき、あなたがたは永遠の住まいに迎え入れてもらえる。」

 まず「不正な富」と言われている言葉は、文字通りには「不正な富」なのですが、「不正な」という言葉の意味に関しては、違った理解もあります。それは「不正な」という言葉は、ここでの場合「この世の」というのと同じくらいの意味だという解釈です。「天にある宝」に対して「地上の富」「この世の富」ぐらいの意味だと解釈するのです。そうするとイエスは決して不正な手段で得た富を使って友達を得よ、とおっしゃっているわけではなくなります。ただ単に「この地上の富を使ってでも友達を作りなさい」という意味になります。ただ、それでも、このイエスの言葉の意味はもう一つすっきりしません。なぜなら、どういう意味でこの世の富で作った友達が、永遠の住まいに自分を迎え入れてくれるのか、説明がはっきりしないからです。

 むしろ、このイエスの言葉は「永遠の住まいに迎え入れてもらえる」ために何をなすべきかを考えさせる言葉ととるべきなのでしょう。この譬え話の不正な管理人は不正な方法で、この世での住まいを確保しようとしました。光の子らは永遠の住まいに迎え入れていただくための何かを真剣に求めなければならないのです。その真剣さはこの不正な管理人の真剣さを上回るものでなければならないのです。

Copyright (C) 2006 RCJ Media Ministry All Rights Reserved.