いかがお過ごしでしょうか。上福岡教会の門脇陽子です。今日は、私が教会学校に導かれたときのことをお話したいと思います。
私の通う小学校の図工室の壁に一枚の絵がかかっていました。それは、十字架につけられたイエス・キリストの絵でした。どの画家の作品かわかりませんし、なぜ公立の小学校にその絵がかけられていたのかも謎です。
その頃、5年生の同じクラスに、教会学校に通っている「けいこちゃん」というお友だちがいました。ある日、けいこちゃんは、絵を指差しながら「これがイエスさまで、何も悪いことをしていないのに、私たちの罪のために死なれたのよ」と教えてくれました。
その絵は、子ども心にも痛ましい絵でした。十字架の上で息絶えようとしている苦しみ、痛み、悲しみ。その時には、罪とは何かなどまったくわかりませんでしたが、私たちのために苦しんでいるというイエス様の絵を見つめていると、何か心が洗われていくようでした。
ここにはきっと何かがある。ここへ行けば何かがわかる。そう思った私は、次の日曜日に教会学校へ行くことを約束したのでした。やがて私は聖書から、イエス・キリストは神のみ子で私たちの罪の救い主であることを教えられ、信じて、洗礼を受けることになったのです。