いかがお過ごしでしょうか。上福岡教会の門脇陽子です。小学生のころ、私は学校でいじめられて死にたいとさえ思ったのですが、やはり死ぬのはこわいことでした。
死んだらどうなるのだろう。死んだら何も見えない、何も聞こえない、何もさわれない。考えることもできない。自分がいるということもわからない。私はなくなってしまうのだろうか? 大人に訊いても、はっきり答えてくれません。死んだら天国に行くんだよと漠然と言われても、信じられません。実はそう答える大人も困っている、確信がないというのがうすうす伝わってきます。すると、こわくて、それ以上訊けなくなるのです。
人は必ず死ぬのに、どうなるのかわからない。大人も知らない。いったい誰に訊けばいいのだろう? 楽しく遊んでいるときも、ふと死のことが頭をよぎると、とたんに目の前の風景から色が失せていくような感じがしました。
5年生になって教会学校に誘われたとき、行こうと決めたのは、このことがひとつのきっかけです。私は教会で、死について、死後について、はっきりとした答えに出会うことができました。ローマの信徒への手紙6章23節にはこうあります
「罪が支払う報酬は死です。しかし神の賜物は、わたしたちの主キリスト・イエスによる永遠の命なのです」