お元気ですか。新座志木教会の弓矢健児です。
以前、ある方が、「自分は人を愛せない。自分自身も愛せない。愛することは大切だ、愛しなさい、と言われても、自分はそれができないから余計に苦しい」、こうおっしゃいました。
確かに、誰もが愛することの大切さを知っています。愛がなければ人は生きられないということを知っています。だからこそ聖書も、「隣人を自分のように愛しなさい」と教えているのです。
しかし、「愛しなさい」と言われても、なかなか愛することができないのが、わたしたち人間の現実です。「愛しなさい」と言われて簡単に愛せるなら、今頃世界から戦争や暴力は無くなっているでしょう。
では、どうしたら、わたしたちは愛することができるのでしょうか。それにはまず自分が愛されているということに気づくことが大切です。自分が誰かを愛する前に、自分が既に愛されているということに気づくこと。それが大切です。
それなら誰があなたを愛しているのか。それは神様です。神様はわたしたちが愛する前から、わたしたちに永遠の愛を与えておらます。イエス・キリストの十字架はそのことをわたしたちに教えています。
神様は今この時も、あなたに語っておられます。「わたしは、とこしえの愛をもってあなたを愛し、変わることなく慈しみを注ぐ」(エレミヤ31:3)