ご機嫌いかがですか。東川口教会の櫻井です。
聖書には生まれたときから目の見えなかった人が、イエス様によって目が開かれたというお話が紹介されています。そして、この出来事がきっかけになってユダヤ人の間で「イエス様はいったい何者なのか」と言う議論が起こりました。
そこで自分の知識や経験を頼りとする人びとは、イエス様はただの人間に過ぎないと結論づけます。ところがイエス様によって目を開かれた人は「こんな素晴らしい業を人間はすることができない。これは人間の知識や経験を遥かに超えた神様にみ業に違いない。だからイエス様は神様から遣わされた方だ」と主張したのです。そして彼はこの後、イエス様を信じ、永遠の命の祝福をいただくことができたのです。
私たちはいつも自分の知識や経験で物事を判断しようとします。日常生活ではその方法が役に立つでしょう。しかし、信仰の世界ではその方法は通用しないのです。
聖書を読むとき、私たちはそこに記されている出来事が人間の持っている知識や経験ではとても判断できないことに気づきます。その上で大切なことは、これを神様の御業に違いないと認めることなのです。そうすれば私たちも神様の力を体験し、永遠の命の祝福を受けることができるのです。
聖書の言葉
「あの方が神のもとから来られたのでなければ、何もおできにならなかったはずです。」(ヨハネ9:33)