ご機嫌いかがですか。東川口教会の櫻井です。
こんな小話があります。ある村に一羽の美しい鶴が舞い降りました。ところがその村の人びとは鶴を今まで一度も見たことがありません。ですから村人たちは「あの美しい鳥は何という鳥だろう」と悩み始めたのです。そこで村人たちは「これは村一番の物知りのお寺の和尚さんに聞いてみよう」と言うことになったのです。
やがて呼ばれて駆けつけた和尚さんはその鳥を見るなり、その鳥がお寺の本堂に飾ってある鶴の蝋燭立てと似ていることに気づきます。そこで和尚さんは村人たちに言いました「どうもあれは鶴と言う鳥のようだ。しかし、待てよ。本当の鶴ならクチバシに蝋燭をくわえているはずだがな…」。鶴の蝋燭立てしか知らない和尚さん、本当の鶴も蝋燭をくわえていると思ってしまったようです。
聖書によるとイエス様の故郷の人びとはイエス様の素晴らしい御業と教えを知って驚きます。ところが、彼らは「あのイエスを私たちは子供のときからよく知っている。彼は自分たちと同じ人間ではないか」と主張したのです。結局彼らはイエス様が神の子であることを信じることができませんでした。故郷の人びとは自分たちが持つ先入観のためにイエス様を正しく理解することができなかったのです。
聖書の言葉
「イエスは、「預言者が敬われないのは、自分の故郷、親戚や家族の間だけである」と言われた」(マルコ6:4)