あさのことば 2006年10月4日(水)放送     あさのことば宛のメールはこちらのフォームから送信ください

鈴木牧雄(湘南恩寵教会牧師)

鈴木牧雄(湘南恩寵教会牧師)

メッセージ: 本当の信仰と本当の謙遜

 いかがお過ごしでしょうか。湘南恩寵教会の鈴木牧雄です。けさも聖書に耳を傾けたいと思います。フィリピの信徒への手紙3章12節のパウロの言葉です。
「わたしは、既にそれを得たというわけではなく、既に完全な者となっているわけでもありません。何とかして捕らえようと努めているのです。自分がキリスト・イエスに捕らえられているからです。」

 謙遜そうに見えて実は高慢だ、というキリスト教会に対する率直なご批判を耳にすることがあります。肝に銘じなければと思っていますが、その一つが、自分はキリストを捕らえたので完全な者となったと言わんばかりのクリスチャンの振る舞いです。もちろん高慢そのものであり、パウロも厳しく戒めています。

 ところでパウロは、信仰とはキリストに捕らえられて与えられるものと教えていますが信仰は私たちが信じてつかみ取るものではないのでしょうか。確かに信仰を求める人は皆、信じよう信じようとします。しかし、キリストを信じようとすればするほど、自分はキリストに救っていただく資格などないと、ますます認めざるを得なくなります。なぜなら、私たちの罪の身代わりに十字架に死んでくださったキリストの愛を知れば知るほど、その愛の前で自分の罪深さに打ちのめされるからです。

 そして、このようにしてキリストの前にひれ伏さざるを得なくなるのが実は信仰でありこれが信仰による謙遜です。本当の信仰は本当の謙遜を生み出してくれます。なぜなら、信仰も謙遜もすべてキリストの愛のおかげだからです。

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