ご機嫌いかがですか。東川口教会の櫻井です。
聖書によればイエス様の弟子の一人であったトマスは、イエス様が復活されて弟子たちの前に現われたときに、そこにいませんでした。このトマスは以前にイエス様のためなら「自分も一緒に死ぬ覚悟ができています」と告白したことがありました。ところが彼は実際にイエス様が十字架にかけられたときに他の弟子たちと一緒に逃げ出してしまったのです。そんなトマスでしたから、きっと自分の失敗を責めつづけていたのかもしれません。
そして復活されたイエス様に会うことのできなかったトマスは、自分だけが取り残されてしまったと思ったのでしょうか。イエス様の復活を信じようとしなかったのです。そこでイエス様はこのトマスの前にも現われてくださいました。そしてトマスに十字架で受けたご自分の傷跡を示されたと言うのです。
この傷跡はトマスにとって何を意味するものなのでしょうか。それはトマスの弱さや罪のすべてを担ってイエス様が十字架にかかってくださった印なのです。確かにトマスはイエス様に忘れられてはいなかったのです。その証拠こそがこのイエス様の傷跡だったのです。
トマスはこの傷跡を見つめてイエス様の自分への愛を確信しました。そして彼はイエス様を信じる者と変えられたのです。このようにイエス様の傷跡は私たちを愛するイエス様の愛の印なのです。
聖書の言葉「トマスは答えて、『わたしの主、わたしの神よ』と言った。」(ヨハネによる福音書20章28節)