ごきげんいかがですか。綱島教会の川杉安美です。
16世紀にルターという人がいました。歴史でも学んだ方もおられると思いますが、宗教改革運動、つまりプロテスタントの発端となった人です。
この人が、聖書を何度も声を出して読むということを勧めました。言ってみれば、自分で自分に、聖書の言葉、神様の言葉を読み聞かせるということでしょう。神様が下さった聖書という神様の御言葉、それを自分の口にのぼらせ、語らせ、そうして自分の耳で聞く、そうやって味わうということです。
そこには、目で読んだだけでは分からない、あるいは味わえないものがあるのでしょう。極端かもしれませんが、おそらく音楽家は楽譜を見れば、どういう音楽なのか、頭の中にそのメロディーが響くのではないでしょうか。しかしそれと、やはり実際に音となって奏でられるものとは、違うでしょう。
同じように、目だけで読むことと、口に出して読むことは、やはり違うことなのです。声を出せない方もおられるかもしれません。その場合でも、ラジオを聴いてくださる方ならば、誰かが朗読したものを聞く、ということはできると思います。私も、何かの集会で司会者などが聖書を読んでくださるときには、自分の持っている聖書を開かないで、ただ耳から聴くようにしています。
聖書の中には、こんな言葉があります。「信仰は聞くことにより、しかも、キリストの言葉を聞くことによって始まるのです。」。聖書を声を出して読む、読まれる聖書を聞くそこに新しい神様の語りかけを聞くかもしれません。