いかがお過ごしでしょうか。東京教会の今井献です。
ヨハネ福音書9章に、イエス様が生まれつきの盲人の目を見えるようになさったという大変不思議な出来事が教えられています。この出来事は、ただ目が見えるようになったというだけでなく、目が見えるようになった男性が、ついにイエス様を救い主として認めて、礼拝をささげるものとなったことに意味があります。多くの人は目が見えるのですが、その目で何を見ているかというと、この世のことばかりではないでしょうか。神様の恵みと救いを目で見て、理解し、神様をあがめることが本当に少ないと思います。
この出来事をめぐって、イエスという男はメシア、すなわち救い主であるかどうかが人々の間で争われます。その中で、この奇跡が起こったのは安息日、礼拝をささげる日であったということが、記されています。ここにも、大切な意味があります。わたしたちは神様とその救いに対しては生まれながらにして盲目です。本当の神様がわかりません。もし主イエス・キリストと、まことの神様を知り、理解し、信じるということが起こるとすれば、それは安息日、すなわち礼拝においてであることをこの出来事は教えているのです。わたしたちは、学校で先生から教えてもらったり、本で読んだり、実際に経験することによって知らないことを知り、知識を蓄えていきます。けれども、主イエス・キリストと神様を知ることは、礼拝するのでないと決して分かりません。神様は礼拝されるべきお方だからです。
聖書の救いに興味を持っている方は、ぜひ礼拝に出席し、主イエスを礼拝していただきたいと願います。