いかがお過ごしでしょうか。東京教会の今井献です。
新約聖書コリントの信徒への手紙一の1章18節以下は、神の知恵について教えています。
コリントとは、ギリシャの町の一つであり、ギリシャ哲学、すなわち知恵を誇っていました。ギリシャの知恵は、ソクラテス、プラトン、アリストテレスに代表されるように、今にいたるまで尊敬され、影響を与えている立派な知恵です。けれども知恵に満ちた町の教会、コリント教会は教会員同士が知恵におぼれ、力と地位を誇って争う事態になっていました。
この手紙は次のように書いています。あなたがたが召されたときのことを思い起こしなさい。キリストの十字架は、知恵ある者、能力のある者、家柄のよい者ではなく、世の無学な者、無力な者、身分の卑しい者、見下げられている者をまず選び出して救ったのではなかったか。
人を救う神の知恵のすばらしさは、少数のエリートや知識人ではなく、だれもが聞き、理解し、受け入れることができる点にあります。ですから、だれであっても救われるのです。人は、若いとき、あるいは壮年の時、どれほど知恵があり、社会的地位と力があっても年をとってくる、高齢になればなるほど知恵は衰え、社会的地位は失われていくのではないでしょうか。もし、知恵や力に頼って人生の救いを得ようとするなら、だれであっても最後の最後で、救いを逃してしまいます。皆衰え、無力になるのですから。
世の無学な者が理解し、力のない者が救われる。この救いが本当であるなら、もう遅すぎるということはありません。どうか、教会に来て、キリストを知り、信じてください。