いかがお過ごしでしょうか。東京教会の今井献です。
新約聖書、コリントの信徒への手紙一の1章18節以下は、神の知恵について教えています。
コリントとはギリシャ地方にあってとても栄えた有名な町です。また、ギリシャ哲学を誇る人々の町でした。そこに伝道者パウロが教会を建てた、それがコリント教会です。知恵のある人たちが集まった教会であるはずなのに、わたしはパウロにつく、わたしはアポロに、いやペトロに、という分派争いが起こってしまいました。教会の中でも争いがあるのですから、職場やサークル、ボランティアグループ、PTAなどでも争いが起こるのも仕方がありません。そのときには、自分が一番知恵があって正しいといわんばかりに、相手を非難するいろいろな理屈がいわれると思います。
しかし、パウロは神様を思い起こさせてさとしています。
「わたしは知恵あるものの知恵を滅ぼし、
賢い者の賢さを意味のないものにする。」
わたしとは、神様のことです。神様は、ひとり子イエス・キリストを十字架に掛け、人の罪の身代わりとして罰したお方です。罪とは何かというと、ひとことで言うと、高慢、高ぶりです。自分が正しいと高ぶっているうちは、罪が人と争いを乗っ取っているようなもので、決して収まりません。ただ、教会においてはキリストをあがめる信仰と姿勢によって争いを沈めることができます。キリストが十字架におかかりになったのは、「だれ一人、神の前で誇ることがないようにするためです」と29節が書くとおりです。
どうか、教会に来て、高慢や高ぶりから自由な生き方を得てください。