お元気ですか。ラジオ牧師の山下正雄です。
キリスト教は愛の宗教だとよく言われます。聖書の中にこんな言葉があります。
「これらすべてに加えて、愛を身に着けなさい。愛は、すべてを完成させるきずなです」
ここには「これらすべてに加えて」とあります。これらとは具体的には、その直前で言われている事柄です。憐れみの心、慈愛、謙遜、柔和、寛容、そして互いに忍び合い、責めるべきことがあっても赦し合う心です。それだけでも身につけようとすれば大変です。しかし、それらを身につけたとしてもまだ完成ではありません。「愛を身につけなさい」とパウロは勧めます。
しかし、「愛」を身につけるのは、足りない物を1つ足して完成するという意味ではありません。9個だったものが1つ足して10になるという意味で、これらに愛を加えなさいと言っているのではありません。
そうではなく、愛は憐れみの心、慈愛、謙遜、柔和、寛容といった様々な徳を結びつける絆としての役割を持っているのです。憐れみの心、慈愛、謙遜、柔和、寛容を身につけたとしても、愛がなければ、バラバラなのです。
聖書は、これらの徳目が、愛という絆に結ばれて、互いに関連し合い、よりよく機能することを望んでいるのです。どんな素晴らしい徳目も、愛がなければ正しく機能できないのです。
きょうのみ言葉・・・「これらすべてに加えて、愛を身に着けなさい。愛は、すべてを完成させるきずなです」コロサイの信徒への手紙 3章14節