おはようございます。ラジオ牧師の山下正雄です。
今朝は旧約聖書詩編の第111編の言葉です。
「主を畏れることは知恵の初め。 これを行う人はすぐれた思慮を得る。」
たくさんの知識を得ることはとても素晴らしいことです。しかし、聖書の世界ではいろいろ知っているというだけでは賢い人間ではないのです。本当に知恵のある者とは、まことの神を畏れる人だと聖書は言っています。逆に聖書の世界では、愚か者とは神を畏れない人のことです。神を無視した生き方ほど、愚かで癒しがたいものはないのです。
きょうの詩編には、「主を畏れることは知恵の初め」とあります。ほんとうに賢く生きようと願うならば、まず聖書の神を知り、このお方を畏れ敬うことから第一歩を踏み出さなければならないのです。どんな知識を差し置いても、先ず神を知ることから始めるのです。
まことの神を畏れない生き方は、まことの神ではないものを恐れ、迷信に惑わされ、結局は束縛だらけの不自由な生き方に陥ります。また、まことの神を畏れない生き方は、せっかく知り得た真理をどう正しく使うべきかを見誤り、しばしば人類自身を苦しめます。
聖書の神を畏れてこそ、人は自由に正しく生きることができるのです。
それではきょうもあなたの上に主の平安が豊かにありますように。