おはようございます。ラジオ牧師の山下正雄です。
今朝は旧約聖書詩編の第49編の言葉です。
「自分の名を付けた地所を持っていても その土の底だけが彼らのとこしえの家 代々に、彼らが住まう所」
ロシアの文豪トルストイの短編に「人に必要な土地」というお話があります。日の出から日没まで歩いて足で踏んだところがその人のものになるというのです。主人公のパホームは欲に目がくらんで必死で歩き回りますが、力尽きてとうとう死んでしまいます。結局、彼が手に入れたのは自分を葬る墓穴だけのスペースだったと言うお話です。
詩編49編の作者もまた言います。「自分の名を付けた地所を持っていても その土の底だけが彼らのとこしえの家 代々に、彼らが住まう所」。どんなに広大な土地を手に入れ、それに自分の名前を付けたとしても、その人が死んでしまえば、その人が住まうのは土の底の墓の中だというのです。この詩編の作者はさらに言います。人は「死ぬときは、何ひとつ携えて行くことができず 名誉が彼の後を追って墓に下るわけでもない」。
では、地上でなす人間の営みはすべてがむなしいというのでしょうか。この詩編の作者は言います。「しかし、神はわたしの魂を贖い 陰府の手から取り上げてくださる」
魂を贖うことのできる聖書の神を信じるときだけ、むなしく思える人の歩みにも、希望の光が差し込むのです。
それではきょうもあなたの上に主の平安が豊かにありますように。