キリストへの時間 2005年12月4日放送    キリストへの時間宛のメールはこちらのフォームから送信ください

中山仰(清和学園宗教主任)

中山仰(清和学園宗教主任)

メッセージ: 「受け容れる美しさ」

 「神がいるならば、戦争や飢餓や犯罪がなぜなくならないのか。悪いことが続くのか」と疑問を投げかける方がいらっしゃいます。世界を創り、意のままに支配されている方がほうっておくはずはありません。その解決のために神の独り子イエス・キリストをこの世にお遣わしくださいました。でもそのことを多くの人々は認めようとしません。ですからいつまでも悲しい絶望的な出来事が続くといっても言い過ぎではありません。

 キリストは神であるのに、この方を理解しないために、つまり光を光として迎え入れないためにこの世は闇であると言い切っているのです。

 実際、人間を苦しめている陰の勢力は、光に来られると困るので、この光を阻止しようとしました。阻止し切れないとわかった時に、何とこの真の光であるイエスを十字架につけて殺したのでした。神が暗闇の中にいる私たちに手を差し伸べて御子をお遣わしくださったのに、神が共にいて守り支えてくださろうとしたのに、人々はそれを拒否しました。それどころか、御子を葬り去ったのでした。

 主イエスは、神の御意志、神の御力、神のなさることを私たちの只中で指し示すために最後まで苦闘され、壮絶な死を遂げられました。私たち人間をそのまま受け容れられるために、そのまま引き受けられ、神と人とが断絶しないためのギリギリの戦いをしてくださいました。そのために、聖霊によってマリアがみごもるという不思議な方法が採られたのでした。私たちには信じがたい方法ですが、神の深い知恵による神ご自身以外に思いもつかないような方法でした。人間の罪深い心には、いつも神に反対するという思いが働きますので、人間の狭い枠の中だけの考えを超えたことに関しては信じようとしません。自己過信状態が闇を招いているのです。

 あるTVドラマに気立てのいいお嬢さんが妊娠していましたが、相手の男に振られて途方にくれていました。実家に戻ってきた時に、気のいい男と出会い「俺が生まれてくる子の父親になってやる」と親身になってくれますが、母親は騙されてはいけないと反対します。二人は周りの反対を押し切って結ばれ、お腹の赤ちゃんも幸せの内に誕生します。そしてその子を中心にして、家族は和解するという人情物語です。

 マリアとヨセフは結婚していますが、その地方の習慣にならって1年間一緒に生活しないという方法をとっています。その間に聖霊によってマリアが身重になったのですから、ヨセフの狼狽はいかばかりであったことでしょうか。ヨセフは正しい人であったのですが、その正しさはせいぜい「ひそかに縁を切ろうとすること」ぐらいでした。公に不倫と見られるとマリアは石で打ち殺されなければならなかったからです。マリアとヨセフの場合は、今のドラマと似ているようですが全く異なります。ドラマの善良な引き受け手となる男性も婚約中に他の男との関係で子どもができたとしたら、平静ではいられないはずです。

 「ヨセフは眠りから覚めると、主の天使が命じたとおり、妻を迎え入れ、男の子が生まれるまでマリアと関係することはなかった。そして、その子をイエスと名付けた」と聖書は語ります。このような信じにくい出来事を受け容れること自体、信じがたいことです。私たちの頑なな心を打ち砕くために、常識を覆すような方法が用いられたのがクリスマスです。これ以外に、私たち人間の罪が赦される方法はなかったのです。神の深い愛に感謝の気持ちを向けないかぎり、この出来事を受け容れられませんし、自分の罪の大きさに気づかないのです。

 ヨセフが信じられないのに無理やり押し付けて信じさせているのではありません。自分ばかりどうしてこんな悲惨な目に遭わねばならないのだろう、自分はそんなに悪いことをしていないのにと思うような小さな、哀れな存在である私たちに共に寄り添い、真の慰めと解決を示してくださるのが神のなさり方です。心から悲しみ苦しむ者が祈り求める者に神は必ず共にいてくださいます。これがクリスマスにおいて実現したのです。

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