キリストへの時間 2005年9月25日放送    キリストへの時間宛のメールはこちらのフォームから送信ください

山下正雄(ラジオ牧師)

山下正雄(ラジオ牧師)

メッセージ: 「我らと共にいる神」

 おはようございます。山下正雄です。

 モーセの一生涯には数え切れないほどのエピソードがあります。その一つに幕屋の建設があります。幕屋というのは後のエルサレムの神殿に匹敵する宗教的な施設です。もっとも、モーセの時代には荒れ野を旅していた時代でしたから、神殿のように固定的な建造物を作ってしまったのでは、動きが取れなくなります。そこで聖書の神はモーセに命じて、折りたたんで移動ができるテントのような構造の礼拝施設を作らせたのです。

 その幕屋の建設を命じられるときに、神はモーセにこうおっしゃいました。

 「わたしのための聖なる所を彼らに造らせなさい。わたしは彼らの中に住むであろう」

 これはこれから作らせようとしている幕屋が何を象徴しているかを端的に教えている言葉です。

 「わたしは彼らの中に住むであろう」…神は幕屋を作らせることによって、ご自分がいつもイスラエルと共にいることを具体的に示そうとされていらっしゃるのです。そもそも聖書の神は共にいてくださる神なのです。幕屋があってもなくても、イスラエルともにいてくださることには変わりはありません。イスラエル民族がかつてエジプトに下る時も、またエジプトから連れ出されて荒れ野をさまよっているこのときにも、いつも民の側に伴ってくだるお方なのです。その共にいてくださる神をいっそう具体的に示しているのがこの幕屋だったのです。

 ところで、この幕屋はやがてイスラエルがパレスチナに定着するようになると、もはや折りたたんで移動することがなくなってしまいました。ソロモンの時代にはこの幕屋に代わって、エルサレムには立派な神殿が建てられたのです。規模も幕屋とは比べものにならないほど立派な神殿でした。しかし、幕屋とは比べものにならないほど立派な神殿も、幕屋と少しも変わらないことがありました。それは神殿が象徴しているものも、幕屋が象徴していたものと同じだったのです。それは「神が共にいてくださる」ということでした。神殿を建てようと志したソロモンに神は現れ、こうおっしゃったのです。

 「あなたが建てている神殿について、もしあなたがわたしの掟に従って歩み、わたしの法を実行し、わたしのどの戒めにも従って歩むなら、わたしは父ダビデに告げた約束をあなたに対して果たそう。わたしはイスラエルの人々の中に住み、わが民イスラエルを見捨てることはない」(列王上6:12-13)

 さらに時代が進み、このエルサレムに建てた神殿は敵の手によって崩壊し、何度か修復がなされました。イエス・キリストがお生まれになるころにはヘロデ大王の尽力によって巨大な神殿がエルサレムに建て上げられつつありました。しかし、神はイエス・キリストをこの世にお遣わしになるときに、イエス・キリストこそ「神が我々と主にいます」ということを鮮明に示すお方であることを告げられたのです。ですから、イエス・キリストは「インマヌエル」…「神、我らと共にいます」という名を持っているのです。ヨハネによる福音書はこのイエス・キリストの到来を書き記す時に「言は肉となって、わたしたちの間に宿られた」と書いていますが、「宿られた」という言葉は、「天幕を張って宿られた」という意味の言葉です。つまり、モーセの時代に天幕が神が共にいてくださることを示していたように、今やイエス・キリストという幕屋が、この世に張られ、このイエス・キリストを通して神の存在をもっとも身近に感じることができるようになったのです。

 モーセが今生きているとすれば、このようにイエス・キリストを通して神の存在を味わうことができる今の時代を、きっと羨ましく感じることだろうと思います。

 ラジオを聞いてくださっているあなたも、ぜひ、イエス・キリストという幕屋を心に内に迎え、神が共にいてくださることを味わってください。

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