キリストへの時間 2005年7月3日放送    キリストへの時間宛のメールはこちらのフォームから送信ください

山脇栄子

山脇栄子(清和女子中高等学校教頭)

メッセージ: 「村長さんの娘も行っている清和女子高校」

 おはようございます。清和女子高校の山脇です。

 今朝は聖書のマタイによる福音書、5章8〜9節、「心の清い人は幸いである。その人達は神の子と呼ばれる。平和を実現する人々は幸いである。その人達は神の子と呼ばれる」という箇所を覚えたいと思います。

 私は高校教育は清和女子高校で学びました。私の生まれ育ったところは、高知県の東の方、奈半利川の上流、北川村の中程にある小島という山の中です。自然は豊かで奈半利川の水は豊富で川底まで見える清い流れに、鮎やアメゴ、ウナギ、エビなど川魚に恵まれ、夏場は子供達は一日中川遊びをして真黒になっていました。自然の中での生活は、本当に恵まれておりました。しかし、交通機関は一本の森林鉄道しかありません。病気などした時には町まで森林鉄道を頼らなければなりませんでした。これは千本杉で有名なヤナセと奈半利を結ぶ木材を運搬するために作られた鉄道です。それに1〜2コの客車をつなぎ、人々を町まで運んでくれたものです。一日一往復のこの森林鉄道が何よりの町の文化を運んでくれた交通手段でした。その当時の人々にとっても大切な交通手段であったわけです。そんな山の中での生活は、新聞は一日遅れ、今のようにテレビなどはなくラジオからの情報が世の中の動きを知る唯一の方法でした。もちろん雑誌やまとまった本などもなく、勉強は学校の授業中に学ぶことだけでした。そんな環境の中にいながら何故高知市にある清和女子高校を知ることになったとお思いですか。

 当時は高等学校も今のように全員が進学することなく、中学校までの義務教育を終えるともう一人前の時代です。周囲を山に囲まれたすりばちの底のようなところで生活をしていますと、山の向こうには何があるだろう、あの空の向こうにはと、遠くにあこがれを持つのは当然のことですが、高等学校に行ってみたいと思うようになった私に、小学校の先生が、高知には清和女子という学校があると教えてくれました。清和女子高校がどのような学校でどのくらいの人がいるかも知らない私にキリスト教の学校で外人の先生が英語を教えてくれているという情報だけを頂き、清和女子高校に心引かれるようになりました。しかし、高知の町まで行くことを親は許してくれるだろうか? おそるおそる高校は清和に行きたいということを話しました。もちろん両親も学校の中身や、どこにあるのかも知らない状態です。後日両親から返ってきた返事は、高知の清和へ本当に行きたいのかと聞かれ、「清和女子高校には村長さんの娘さんも行きゆうきに、えいろう、どうしても行きたかったら行きなさい」と、意外にも賛成の返事が返ってきたのです。その当時の村長さんは、全ての村民の鏡です。村長さんのしていることは、間違いないと思われたのでしょう。「村長さんの娘さんも行っている学校、立派な学校」と思ったことでしょうね。そのようないきさつの中から私は清和女子高校に進学することになりました。そしてそこで、はじめて聖書を手にし、讃美歌を歌って、神様を賛美することを知りました。毎朝繰り返される礼拝はもちろん、教会という所があることもはじめて知り、はじめて教会に足を運んだのも清和に入学してからのことです。

 マタイによる福音書5:8・9の「心の清い人達は、平和を実現する人達は・・・・」のこの箇所から「清和」と名づけられた学校に学ぶようになったその過程を振り返り、その導きを思う時に、神様は不思議な方法で導かれる方であることを覚えました。 

 この世の中に神様はいらっしゃる。それも人の手で作られた神様でなく、この世界全てを創られ、おさめられている神様がいらっしゃることを、私はこの学校に入ることによって知ることができました。ほんとうに不思議な方法でご自分の存在を知らせる神様に選ばれた者として、みことばを知ること、祈ることを教えられた者として、日々この生命は神様によって与えられていることを感謝して歩みたいと思います。

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