キリストへの時間 2005年5月22日放送    キリストへの時間宛のメールはこちらのフォームから送信ください

山村貴司(南与力町教会牧師)

山村貴司(南与力町教会牧師)

メッセージ: 「ご自分から尋ねてくださる神様」

 おはようございます。

 キリストは墓からよみがえられた・・・と言われています。しかし、当時墓が空っぽだったのを見た時、婦人たちは動転し、復活を信じることができませんでした。また12弟子たちも実は復活が信じられず、その後ある弟子たちは希望を失い、意気消沈し、自分たちの故郷へ帰っていったほどでした。このように人は、誰でもその常識的な理性や、知性によっては復活信仰を持つことができないのです。

 では、そのような人間が、どうしてこの後、復活を信じることができたのでしょうか? それは聖書によると、彼らの生活に非常識的な出来事、非日常的な出来事が起こったからにほかなりません! 聖書によると、キリストが真実に彼らのもとに現れたのです! キリストがほんとうに彼らのもとに現れ、ほんとうに手でさわれるようなかたちで、彼らの日常の中に現れたのです。弟子たちは、この出来事によって復活を信じるようになったわけです。

 さて、ここで一番大切なことは、彼らが自分の方から信仰を持つようになったのではなく、キリストの方が率先して弟子たちを訪ねてくださり、率先してみ手を伸ばしてくださって、信仰を持つに至ったということです。

 ここに聖書の宗教の最も大きな特徴があります。聖書の宗教は、いつでも、人間の方から神様を尋ね求め、神様を見出してきたのではなく、いつでも、生きておられる神様の方が人間を尋ね求め、神様の方が人間を愛し、語りかけてくださった出来事なのです。

 旧約聖書の時代、サムエルという少年がいました。神様は、一人、神様の神殿に寝ている小さな少年サムエルを自分の方から、「サムエルよ・・・、サムエルよ・・・」と語りかけてくださいました。

 この時代は、多くの人々の心が暗くなり、神様を慕い求める人々がわずかばかりでした。しかしそんな時代にあっても、神様はご自分の方から人間を尋ね求め、人間に語りかけてくださったのです。

 そして新約聖書の時代に至ってもそれは同じでした。主のお弟子たちが、エマオという村へ向かって山深い道を歩いていた時です。希望を失い、意気消沈していた彼らに対し、キリストはご自分の方から現れ、そして弟子たちと一緒に道を歩まれ、親しく語りかけられました。

 この時、弟子たちは主の死後、その心をまっ暗にし、自分たちの方からキリストを信じることも、キリストを尋ね求めることもできませんでした。しかし、そんな彼らに対しても、キリストはやはりご自分の方から彼らを尋ね、彼らに語りかけてくださったのです。私たちも現実生活の中で、しばしば希望を失い、意気消沈し、不信仰の中に身を投じます。しかし、そんな時にも、聖書の神様はご自身の方から私たちを尋ね求め、ご自分の方から私たちを愛し、語りかけてくださるのです。

 どうか、私たちの生活には、その神様が共にいてくださることを心にとめることができますように。

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