キリストへの時間 2005年3月6日放送    キリストへの時間宛のメールはこちらのフォームから送信ください

久保浩文(高知教会牧師)

久保浩文(高知教会牧師)

メッセージ: 「人生の嵐の中で」

 おはようございます。高知教会の久保浩文です。

 今、ラジオをお聴きの皆様の中で、船旅の好きな方もおられると思います。おだやかな波に揺られ、船の甲板で潮風の匂いをかぎながら、風に身をまかせる船旅はまた格別です。

 しかし、好天気の時にはおだやかだった海も、一度台風がやってくると、波は荒れ狂い、大型船といえども波の上の一枚の木の葉のように弄ばれ、上下左右に揺れ動きます。

 私が中学生の頃、大阪の親戚を訪ねるために、徳島の小松島港からフェリーに乗りました。しばらくして、つい数日前に通過した台風の影響で、波が高くなり、フェリーが上下に揺れ出しました。沖合に行けば行くほど、揺れは納まるどころか、益々ひどくなり、私は遂に船酔いしてしまいました。船から下りることも出来ず、ただ、船が一刻も早く無事に目的地に着いてくれることをひたすら神に祈りながら、不安なときを過ごしたことがあります。

 イエス・キリストも、伝道活動の移動手段として、舟を使ってガリラヤ湖を横断していました。ある日のこと、イエスは弟子たちと一緒に舟に乗り込まれ、舟出しました。渡って行くうちに、イエスは旅の疲れからか、ぐっすりと眠ってしまわれました。その時です。突風が湖に吹き下ろしてきて、弟子たちは水をかぶって危険になりました。これは周囲を小高い丘に囲まれている地形のために、突如、激しい突風が吹き下ろしてくるものです。そこで弟子たちはうろたえて、眠っていたイエスを起こそうと、「先生、先生、おぼれそうです。」と訴えました。弟子たちの中には、長年ガリラヤ湖で漁をしてきたプロの漁師たちも何人かいました。その彼らが「おぼれそうです」と悲鳴をあげたのですから、死の危険と恐怖はよほど大きかったのでしょう。イエスは起き上がり、風と荒波とをお叱りになりました。すると、直前まで荒れ狂っていた波風が、嘘のように静まって凪になったのです。イエス・キリストは、自然をも従わせることのできる生ける神の子です。

 イエスは、弟子たちに「あなたがたの信仰はどこにあるのか」と言って叱責されました。弟子たちはこれまでも、イエスを寝食を共にし、イエスの様々な奇跡や不思議な事を目の当たりにしたはずです。しかし、今、この死の危険と背中合わせの危機的状況の中で、イエス・キリストに対する信仰が生かされていないことを指摘されたのです。

 私達も日常生活の中で、何事もなく平穏無事な時には、「信仰」という言葉をたやすく口にしますが、いざ、何か大きな問題が生じると、イエス・キリストに対する信仰はぐらつき、信仰どころではなくなっている場合が多いのではないでしょうか。イエス・キリストは、いつも私達の側におられるだけでなく、わたしたちが、信仰生活の途上にて遭遇する様々な試練や艱難といった人生の嵐の中にあっても、私達がイエス・キリストに心を向け、真剣に願い求め、叫び声をあげるならば、必ずや、私達に必要な助けの御手を差して下さるだけでなく、嵐の中に平安と慰めをも与えて下さるお方なのです。心が悩み苦しみでいっぱいになってしまう時にも、どうか、このイエス・キリストのことを思い出していただきたいと思います。

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