キリストへの時間 2005年1月9日放送    キリストへの時間宛のメールはこちらのフォームから送信ください

宮武輝彦(芸陽教会牧師)

宮武 輝彦(芸陽教会牧師)

メッセージ: 「しもべとなられた神のひとり子」

 お早うございます。安芸の芸陽教会牧師、宮武輝彦です。今朝もあなたとご一緒にキリストのみ言葉に耳を傾けていきましょう。

 さて、イエス・キリストは十字架にかけられるときが迫った時に、食事の席で、その弟子たちの足を一人ひとり洗われました。それは弟子たちにとって驚くことでした。弟子のペトロは、「主よ、あなたがわたしの足を洗ってくださるのですか」と驚き、「わたしの足など、決して洗わないでください」と主をいさめました。それは当時、食事の席で、汚れた足を洗うのは身分の低いしもべのすることであったからです。ですからほんとうに皆が先生と呼び、したがっていたお方が、弟子の足を一人ひとり洗われたのはほんとうに驚きであったのです。

 しかし、このとき主イエス・キリストは、「わたしがあなたの足を洗わなければ、あなたはわたしと何のかかわりもないことになる」と言われ、足を洗うことによって、ひとつの真理を弟子たちにお示しになろうとしていることを明らかにされました。それは、キリストが弟子の体を洗われることによって、わたしたちのすべての罪があらい清められること、わたしたちの罪がゆるされて、キリストのものとされるという救いの喜びが示されていたのです。つまり、罪が洗い清められなければ、わたしたちはキリストと結びつくことができない、また、神に近づくことができないのです。

 新約聖書のフィリピの信徒への手紙には、キリストの方がかえって、神の身分を捨てて、僕の身分になったと書かれてあります。それは、ただご自分の民の罪を負うためであり、キリストはただそのためだけに十字架の死に向かって歩んでいかれたのでした。しかし、キリストが死んだのは、わたしたちの背きのためであるとはだれも思っていませんでした。皆、キリストの受けた傷について誤解をし、自分とは関係のないことだと思っていたのです。でも、かえって、キリストがわたしたちの罪をきよめてくださらなければ、キリストとわたしたちは関係がなくなるのです。キリストがへりくだってくださらなければ、わたしたちのほんとうの救いのよりどころはないのです。

 イエス・キリストが弟子たちの足を洗い、そうしなければ、自分と関係がなくなる、と言われたように、実は神さまとの関係は私たちの側からよりも、神さまの側からどのように見えるのかを心にとめることが大切なのです。

 ザアカイという一人の取税人がいました。この人は周りの人に嫌われていました。ある時そのザアカイの住むエリコの町に、イエスさまご自身がお出でになりました。このとき、背の低いザアカイは群衆を避けて、キリストを一目見たいと思い、いちじく桑の木に上りました。そこを通り掛ったイエスさまは、ザアカイを見て、「ザアカイ、急いで降りて来なさい。今日、ぜひあなたの家に泊まりたい」とザアカイを呼んでくださったのです。ザアカイは喜んで、イエスさまを家に迎え入れ、一晩をイエスさまと一緒に楽しく過ごしました。すっかりこころを入れ換えたザアカイは、いままでごまかしてとっていたお金を四倍にして返します、と言いました。このように、キリストの方からわたしたちに働きかけて下さり、罪を洗い清めてくださるとき、わたしたちのこころも新しくされて、キリストに向き直っていくのです。「神はわたしたちを怒りに定められたのではなく、わたしたちの主イエス・キリストによる救いにあずからせるように定められたのです。」テサロニケの信徒への手紙一5:9

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