タイトル: 「本物の宗教と偽の宗教の違いは?」 神奈川県 S・Nさん
いかがお過ごしでいらっしゃいますか。キリスト改革派教会提供あすへの窓。水曜日のこの時間はBOX190、ラジオを聴いてくださるあなたから寄せられたご質問にお答えするコーナーです。お相手はキリスト改革派教会牧師の山下正雄です。どうぞよろしくお願いします。
それでは早速きょうのご質問を取り上げたいと思います。今週は神奈川県にお住まいのS・Nさん、男性の方からのご質問です。お便りをご紹介します。
「山下先生、はじめまして。突然のメールで失礼かと思いましたが、ずっと疑問に思っていたことがあり、思い切ってメールをしてみました。
その疑問と言うのはありふれた疑問かもしれませんが、本物の宗教とは何かということです。どうせ信じるなら、本物の宗教を信じたいと思うのは当然のことだと思います。しかし、いったいどうやって本物の宗教と偽物の宗教を見分けていったらよいのでしょうか。
先生は当然、ご自分の信じている宗教が本物だと思って信じていることと思います。どうして、それが本物だと確信されたのでしょうか。偽物と本物とを区別する秘訣は何でしょうか。よろしくお願いします。」
S・Nさん、お便りありがとうございました。本物の宗教と偽物の宗教の違いということですが、確かに何かの宗教を信じて生きようとするならば、その違いはとても大切な問題です。もとから宗教に関心のない人や無神論の生き方に徹している人にとっては、どうでもいい問題かもしれません。「宗教なんて所詮は人間の作り出したもの、偽物も本物もない」という考えの人もいることでしょう。
S・Nさんの疑問にどう答えるかは、まず一つには宗教と言うものを、どう定義するのかということに大きく掛かっていると思います。先ほど「宗教なんて所詮は人間の作り出したもの、偽物も本物もない」という考えを持っている人のことに触れましたが、その考えは一面では正しいことを言っていると思います。宗教についての定義を人間が自由に決めることができるのであれば、そのさじ加減一つで、本物の宗教にもなれば、偽物の宗教にもなります。例えば、神の存在を信じるものだけが宗教であると定義すれば、ただ漠然と霊的な存在を信じる宗教は、本当の宗教とはいえなくなってしまいます。同じ神の存在を信じる宗教でも、唯一の神を信じるものだけが宗教であるとすれば、多神教を信仰する宗教は本物の宗教ではなくなってしまうことになります。教義や経典を持たない宗教は、宗教に価しないとすれば、教義や経典をもった高度な宗教だけが本物の宗教と言うことになります。果たして、こういう議論にどれほどの意味があるのか疑問です。
どれが本物か偽物かということよりも、結局は自分はどの宗教を信じて生きたいのか、それが問題なのではないかと思います。もし、その思いがないのならば、本物の宗教と偽物の宗教を知ったとしても意味がありません。
よく言われることですが、宗教を信じている人に、「どれが本当の宗教か」と尋ねれば、間違いなく「自分の信じている宗教が本物だ」という答えが返ってきます。その人にとっては、自分が信じている宗教が最高なのは当たり前のことです。また、そうでなければ宗教を信じている意味もないでしょう。
ところで、キリスト教的なものの見方でお話をしたら、どうなるのでしょうか。もちろん、言葉の定義を抜きにして話を進めることは出来ません。仮に、宗教と言うものを「超自然的な力や存在を信じ、それに伴った生活や儀式、制度をもつこと」と言う風にひろく定義をしたとすれば、そこにはおおよそ宗教といわれているものが皆含まれることになります。そこで「なぜ人は宗教を持つのか」「なぜ、超自然的な存在を感じ、それを信じて生活を営もうとするのか」…ということが問題になるわけです。その問いに対するキリスト教的な答えは、「神がそのように人をお造りになったから」なのです。そういう意味では、どんな宗教であれ、ある意味で、それは創造主である神に対する人間の自然な反応なのです。ただそれならば、どんな宗教でもいいのか、というと、キリスト教的なものの見方からすれば、そうではありません。本来ならば、この超自然的な存在を求める人間の反応は、造り主である唯一まことの神に向けられるべきものです。しかし、人間の側の心にゆがみが生じてしまっているために、正しく神に応答できないというのが、この世にたくさんの宗教が生まれた原因でもあると、キリスト教は考えています。
ここまでお話をすれば、もう結論は見えてしまっていると思いますが、この造り主である神を信じる宗教こそが本物の宗教であると信じているのがキリスト教です。
ただ、そのことと、他の宗教が担ってきた社会的、文化的影響や貢献をどう評価するのかと言うこととは別の問題です。ある宗教がそれを信奉するコミュニティに対してどういう貢献をしてきたのかということで宗教を評価するというのであれば、全然違った評価も出てくることでしょう。
もう一度、話をもとに戻しますが、大切なことは、本物と偽物の違いを誰かから教えてもらうことではありません。もし、それを知りたいのであれば、宗教の数だけ答えが返ってきてしまいます。そして、たった今、クリスチャンであるわたしは、キリスト教の見方でその答えを述べたわけです。当然ですが、キリスト教を信じているわたしに聞けば、そういう答えしかしようがないのです。ですから、大切なことは、何百通りもある人間の答えの中から、どれを自分の信念、生き方とするかということではないでしょうか。
最後に、本物の宗教と偽物の宗教と言うことではなく、ただのカルト集団に過ぎない教えから自分を守る秘訣についてお話をして終わりにしたいと思います。
さきほども、宗教についてのおおざっぱな定義を言いましたが、宗教とは「超自然的な力や存在を信じ、それに伴った生活や儀式、制度をもつこと」です。そういう意味では、カルト集団も宗教という定義に当てはまるのかもしれません。しかし、いわゆるカルト的な集団とそうでない宗教にはいくつかの違いがあります。
カルト集団の特色のその一つは、瞬時に変革が起ることをうたっていること。その二は、その変革を起こすには超自然的な力であるにしても、自分の努力にもっぱらかかっているということをうたっていること。その三は、その変革をもたらす自分の努力には、日常の社会生活から隔離される必要があるとうたっていること。その四は、その変革をもたらす努力には金品を差し出すことがふくまれていること。その五は、こうした事柄についての是非の判断を本人にさせないこと
このうちの複数が当てはまる時には、かなり怪しい集団だと思った方がよいでしょう。
S・Nさんが本当の宗教と出会い、充実した人生を歩まれることをこころから願います。
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