いかがお過ごしでしょうか。東京教会の今井献です。
ルカ福音書第2章には、神の御子イエス・キリストの誕生の次第が記されています。
マリアとヨセフは、人口登録をするためにベツレヘムに上っていきました。「ところが、彼らがベツレヘムにいるうちに、マリアは月が満ちて、初めての子を産み、布にくるんで飼い葉桶に寝かせた。宿屋には彼らの泊まる場所がなかったからである。」
世の救い主ともあろうお方が、貧しいマリアとヨセフを両親としてお生まれになったこと、また生まれた場所は旅先の地、しかも馬小屋で飼い葉おけに寝かされたということ、このさびしい生まれ方に驚く方もおられるかもしれません。しかし、この誕生の次第は、イエス様の生涯にふさわしいものでした。イエス様の生涯とは、神の御子がその栄光を捨てて神と人とに仕え、ついには罪人の身代りとなって十字架で苦しみを受けて死ぬことです。
この生涯は、人の目には、救い主としての輝かしさ、栄光といえるものはなく、初めから終りまで貧しい姿のままでした。
皆様に知っていただきたいことは、神にあって貧しく生きる生き方というものがあるということです。イエス・キリストがそうでした。人々に捨てられて、十字架の死に至るまでご自分を貧しくしたことにより、神の力によって死からよみがえらせられて天の高みに引き上げられました。
ルカ福音書6:20にこうあります。「貧しい人々は、幸いである。神の国はあなたがたのものである。」
貧しくても、神の栄光に満ちた生き方があります。教会に行き、幸いな人生を得てください。