いかがお過ごしでしょうか。東京教会の今井献です。
ルカ福音書1章26節以下に、天使ガブリエルがおとめマリアに現われ、イエスの受胎を告げる場面が描かれています。そこには、「ダビデ家のヨセフという人のいいなずけであるおとめのところに遣わされたのである。そのおとめの名はマリア」と記されています。
ここを読むと、この告知の内容は、ただマリアが納得すればすむというものではなく、婚約者であるヨセフも受け入れねばならないことのはずです。婚約者の突然の妊娠をヨセフはどう理解し、納得したのでしょうか。
マタイ福音書第1章を読むと、心配するヨセフに天使が現われてことの次第を説明したと記されています。この告知を受け入れることは、アリアが受胎告知を受け入れるのと同じほどの信仰が必要であったことでしょう。
ルカ福音書にはヨセフに天使が現れる記事はありません。しかし、第2章のイエス誕生の場面には、「みごもっていた、いいなずけのマリアと一緒に登録するため」ベツレヘムに上っていったと記されています。この聖句から、互いを信頼して旅をする様子が目に浮かびます。
神様に対する信仰と、お互いに対する愛情と信頼に満ちた若い男女を、神様は救い主の両親として選び、この両親の手に神の御子がゆだねられました。
クリスマスは恋人と過ごすことがはやっているようです。神様が祝福する二人には、赤子キリストがゆだねられるほどの神聖さと豊かな可能性があります。お二人で礼拝に出席し、神様に祝福される結婚について考えてみてはいかがでしょうか。