いかがお過ごしですか。三川栄二です。
最近、久し振りに、子供が小さかったころのビデオを見ました。今は生意気盛りで、反抗期のまっただ中にある彼らですが、ビデオの中では小さくかわいらしいままで、まだ歩くのもたどたどしく、立ち上がってはよろめき、一歩歩いては倒れるといった具合、懐かしい思いで一杯になりました。
聖書には、神様が、まだ幼い子供を養い育てる親になぞらえられている箇所があります。
「まだ幼かったイスラエルをわたしは愛した。エフライムの腕を支えて、歩くのを教えたのは、わたしだ。わたしは、彼らに身をかがめて食べさせた」。ホセア書11章1-4節です。
早く歩けるようにと、親が子供の手を取って立たせ、一生懸命に歩かせようとする姿を髣髴とさせます。また身をかがめて、ご飯を子供の口に入れて、食べさせようとする親の姿が記されています。そこには、目を細めるようにして、わが子の成長を見守る親の思いがあります。
そのようなまなざしで、今日もわたしたちは神様から見つめられ、見守られています。うんちがでたといっては喜ばれ、いたずらをしたといっては嬉しがられる、何をしてもかわいいと目を細めて喜ばれる親の思いで、今日もわたしたちは神様から愛され、祝福されているのです。「歩くのを教えたのは、わたしだ」と言われる神様が、今日も弱いわたしたちを支え、励ましながら、守ってくださるのです。