お元気ですか。横浜中央教会の立石章三です。
人の心が通わない、淋しい時代になってしまいました。日ごろの挨拶すらできないために、何かトラブルが起こると、とんでもない事件にまで発展してしまいます。日本語には気配り、気遣い、気働きなど、心を通わせるための方法を教えた、すばらしい言葉がたくさんあります。相手を思いやることができるのは、心の広い人だけです。
さてキリストの伝道者パウロはたくさんの手紙を書き、それが新約聖書の中に入りました。教会に宛てて書いた手紙のほかに、個人に宛てて書いた手紙があります。年とった父親が若い息子を諭すような、心暖まる手紙です。テモテはエフェソ教会の牧師であったと思われますが、その教会には様々な人間的トラブルがたくさんありました。テモテはとても困っていたようです。パウロはこう書いています。「あなたはエフェソにとどまって、ある人々に命じなさい。異なる教えを説いたり、作り話に心を奪われたりしないようにと」。パウロは教会の中のトラブル・メーカーの人々を名指しせずに「ある人々」と呼びます。この手紙がエフェソ教会の中で朗読される時、傷つかないようにという配慮をしているのです。
相手の悪い点を指摘する時ほど配慮が必要です。心が傷つかないようにと最大限の配慮をしています。そう言えばイエス様はユダが裏切ることをとっくにご存じでした。けれどもそれを指摘することをせず、裏切り者が弟子たちの中にいるということだけを指摘されました。そうイエスはこの時、ユダにメッセージを送っていたのです。「まだ遅くない。裏切りから立ち返りなさい」と。イエス様ほど裏切り者ユダの心を配慮していた人はいませんでした。