わたしは東京教会の西川重則と申します。皆さん、ご機嫌いかがでしょうか
イエスさまが、柔和な方、謙遜な方であることについて学びましたが、それは妥協したり屈服したりすることを意味しません。神の道にかなわないことを行っている人々に対して、黙って見過ごすことのできないイエスさまであったことを知ることは大切なことです。
イエスさまが、神殿に入って、そこで売り買いをしている人々を追い出されたこと、そこで腰掛けを倒されたことも、柔和なイエスさまがどうしてそんな荒々しいことをと誤解してはいけません。
イエスさまは、その場所が神殿であることを人々に訴え、警告をし、「わたしの家は、祈りの家」とおっしゃったのです。
私は、ハワイに言った時、ハワイ語で教会のことを祈りの家と言うことをハワイ語の辞書で知りました。私たちの教会は、祈りの家なのです。教会はイエス・キリストをかしらとする主の教会です。その教会は主にあって共に学び、共に祈る家なのです。私は、私が出会った方を主の教会の礼拝にお招きし、その方の救いのために祈ることが何よりも大切なことだといつも心から信じています。