ご機嫌いかがですか。東川口教会の櫻井です。
十数年前のことです。私の父が病院で精密検査を受けて、浮かぬ顔をして帰ってきました。その理由を尋ねると病院の医師は父に「どうも、判断のしかねるところがあります。まあ、しばらく様子を見てみましょう」と言ったと言うのです。父は「それでは、もし悪い病気だったら、手遅れになってしまう」と心配になったと言うのです。父はこの医師の言葉が元で半分ノイローゼのようになってしまいました。
そこで私は父を別の病院に連れて行って、精密検査をやり直して貰うことにしたのです。その結果、「どこも異常はありません」ということになり、父の悩みは一気に解消されたのです。あれから十数年経ちますが、父は今でも元気で暮らしています。
聖書には律法と言う厳しい掟が記されています。実はこの律法は病院の精密検査のように私たちが罪人であることを教えるものだと言えます。そしてイエス様はこの検査で罪人と判断された人たちを癒すために来てくださったと言っているのです。ですから、私たちはたとえこの律法の検査で罪人と判断されても、安心してイエス様に自分をお任せすることができるのです。
聖書の言葉
「医者を必要とするのは、丈夫な人ではなく病人である。…わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためである。」マタイによる福音書9章12、13節