ごきげんいかがですか。綱島教会の川杉安美です。
キリスト教の教えの中で、よく疑問に思われたり、質問されたり、あるいは馬鹿にされたりするものの一つに、イエス・キリストが処女から生まれたというものがあります。確かにこれは普通ではありえない、考えられないことでしょう。実際それが起こったとすれば、奇跡としか言いようがありません。けれども、それならどうしてそんな普通では信じがたいようなことを、わざわざ神様はなさったのでしょうか。かえってキリスト教が信じられなくなりそうなのに。イエス・キリストに神秘性を持たせようとしたのでしょうか。あるいは、あっと驚くような奇跡を神様がなさって、人々を驚かせようとなさったのでしょうか。
いえいえ、処女から生まれるというのは、生まれながらに人間が持ってしまう罪や汚れを持たないで生まれるためだったのです。本当に清い存在として生まれるためだったのです。罪や汚れがなく、本当に清い存在でないと、罪や汚れのある人間を救うことができないからです。つまり、人間を救うためにこそ、処女から生まれるという形を取らざるを得なかったわけです。イエス・キリストの誕生の仕方そのものに、すでにどんなことをしてでも人間を救うという神様の恵みがあらわされています。
そのように、聖書に記されているいろいろな教え、奇跡、出来事、何もかもそれは、どんなことをしてでも人間を救おうとする神様の恵みの表れなのです。どんなことをしてでも、あなたを救いたい、救う、そういう神様の強い意志を、聖書の記事を通して、読み取っていただきたいと思います。