いかがお過ごしでしょうか。東京教会の今井献です。
ヨハネ福音書第2章には、イエス様が水を上等のぶどう酒に変えることにより、救い主としての栄光をあらわされたという出来事が記されています。
水をぶどう酒に変えるごとく、罪人のわたしたちが神の祝福に満ちる者に変えられるという点に、キリスト教の救いがあることをこの出来事は教えています。
この聖書個所を丁寧に読んで行くと、9節に、宴会の世話役はこのぶどう酒がどこから来たのか知らなかった、しかし、「召し使いたちは知っていた」とあります。当然のこと、わざわざ記さなくてよいようなことが書かれています。これには、大切な意味があります。
「召し使いは知っていた。」何を知っていたのか。水がぶどう酒に変わったことを知っていました。しかし、ただ水がぶどう酒に変わったというのではありません。あの方、イエス様が変えた、あのイエス様からぶどう酒が出てきた、ということを知っていたのです。
ちょっとしたことのようですが、この聖句は神の豊かな祝福は、他でもなくイエス様から与えられるのである、という最も大切な真理を教えています。
ヨハネ福音書1:18にはイエス・キリストについて次のように記されています。「わたしたちはその栄光を見た。それは父の独り子としての栄光であって、恵みと真理に満ちていた。」神の救いの祝福は、唯一人主イエスから与えられます。どうかイエス様だけをまことの救い主と信じてください。