ごきげんよくお過しでしょうか。岩永愛子です。
教会に住んでいますと色々疑問をもって尋ねて下さる方にもお会いします。「もしイエス様が愛の神様であるならば、どうして貧しい人がいるのですか?どうして苦しんでいる人がいるのですか。不公平じゃないですか。神様が人の幸せを願っているのなら、そんな悲しみを世界からなくすべきではないですか」などなどです。
悲しみや貧しさは人が神様にそむいて罪人となり世界が罪の中にあるからと説明します。そしてイエス様はその罪から救い出して下さる為に私達の身代りに十字架の上で死んで下さったと伝えます。でも今のこの時を共に生きている、イエス様を知っている私にも責任があるのかもしれないと思ったりします。
マザーテレサはこう言います。「もし貧しい人が飢えて死ぬとしたら、それは神様がその人たちを愛していないからではなく、私が、あなたが、その方たちにパンを、服を、やさしさを、愛を、思いやりをわけてさしあげなかったからなのです」と。自分のことのみに気をとられて隣人を忘れてはいないかと自問自答する時です。イエス様は十字架の愛によって愛を快復させて頂いたクリスチャン達に愛の業を託しておられるのですね。神様の責任にしては間違いと思い知らされます。沢山クリスチャンがふえたら、もっと愛の業は世界に広がって皆の幸せが増し加わると一生けん命イエス様を伝える私です。