ご機嫌いかがですか。東川口教会の櫻井です。
子供のとき、私は何度か私の父に夏休みの宿題の工作や図画を手伝ってもらったことがあります。おそらく、その作品を見た学校の先生はそれが一目で私の作品でないことに気づいたと思います。なぜなら、それらの作品は子供の実力とはとても思えない、大人の実力によって作られたものだったらです。
聖書にはイエス・キリストが荒れ野で悪魔の誘惑を受けられたお話が紹介されています。不思議なことにイエスはこの誘惑で奇跡を簡単に行うことのできる神の子としての実力を一切使われていないのです。
それはどうしてなのでしょうか。その理由はイエスが私たち人間の代わりにこの誘惑を受けられたからです。そのためにイエスは私たち人間と同じ力を使ってこの誘惑に立ち向かわなければならなかったのです。この誘惑に止まらずイエスはその生涯の中で人として苦しみを受け、最後には十字架の上で死なれました。
つまり、イエスが神の子の実力を発揮しなかったのは、私たち人間を救うためだったのです。そしてこのイエスによって私たちもすでに悪魔の誘惑に勝利し、罪と死の呪いからも解放されていると聖書は教えているのです。
聖書の言葉
「キリストは、神の身分でありながら、神と等しい者であることに固執しようとは思わず、かえって自分を無にして、僕の身分になり、人間と同じ者になられました」。フィリピの信徒への手紙2章6、7節