ごきげんいかがですか。綱島教会の川杉 安美です。
私は、1年間会社勤めをしてから、牧師になるための学校に行き、それから牧師になりました。実は、牧師になろうかどうしようかというのは、学生時代からずっと考えていたことだったのです。
牧師になることを私たちは召命を受けると言います。つまり神様がその人を牧師になるようにと召し出す、ということです。私は、神様が自分をそのように召し出しているのだろうかと、ずっと考えていたわけです。神様が召し出しておられないのに、自分勝手に牧師になるわけにはいきません。あるいは、神様が自分を召し出すのをずっと待っていたと言ってもいいかもしれません。
けれども、あるとき一つの出来事をきっかけにして、気付かされたことがあります。私は、神様が自分を召し出すのを待っているつもりだったけれども、実は神様の方でも、私が応じていく、答えていく、そのことを待っていたのではないかと。そのことを気付かされて、あらためて色々なことを見直してみると、色々な出来事を通して、あるいは色々な人を通して、神様は私に呼びかけていたのだと分かってきました。それで、牧師になる決心がついたわけです。
私たちは、神様のことが分かる為に何か特別な事件が起こらないだろうかとか、奇跡が起こらないだろうかとか、あるいは神様が特別に語りかけてくださらないだろうかとか、へんな期待をして待ってしまうこともあります。けれども、もう神様は色々な出来事や人々を通して、あなたにも語りかけているのです。神様の方が、あなたが応えるのを待っているのです。