ごきげんいかがですか。綱島教会の川杉 安美です。
聖書の教えによると、神様が最初の人間を造られたとき、神様は人とはとてもよい関係で歩んでいたということです。ところがその最初の人アダムは、神様から与えられた大事な掟を破ってしまい、罪を犯してしまいました。そのために、神様と人との関係が壊れてしまったのです。聖書にはこう記されています。
「その日、風の吹くころ、主なる神が園の中を歩く音が聞こえてきた。アダムと女が、主なる神の顔を避けて、園の木の間に隠れると、主なる神はアダムを呼ばれた。『どこにいるのか』」。
神様との関係を自ら破り、神様から隠れている人間に対して、神様は呼びかけられたのです。「どこにいるのか」。罪を犯し、神様から隠れても、やはり神様は「どこにいるのか」と呼びかけられるのです。神様から隠れていても、神様に背を向けていても、罪の中にひたっていても、なお神様は人間に呼びかけられます。「どこにいるのか。」。もちろんそれは、もう一度神様との関係を取り戻すための呼びかけです。今もこの呼びかけは、響いています。たとえば何か良心にやましさを感じたりするのも、それは「どこにいるのか。私のところに立ち帰りなさい。」という神様からの呼びかけかもしれないのです。とりわけ神様は聖書を通して呼びかけています。「どこにいるのか。私のところに立ち帰りなさい。」。そして、神様に立ち帰る人は、その呼びかけを受け入れた人です。神様の方はもう呼びかけています。あとは、答えるかどうかです。