いかがお過ごしでしょうか。東京教会の今井献です。
教会の周りには高いビルがいくつもあります。その中の1つに馬の首のように中ほどから前に突き出した形をしたビルがあります。よく前のめりに倒れないなあと思いますが、倒れないように構造計算をして建ててあるに違いありません。
大河ドラマ「義経」にこのような場面がありました。「護岸工事で事故が続き、ケガ人が何人も出ています。人柱を建てましょうか。」すると平清盛は「ならぬ。人柱は絶対にならぬ。」
今は、人柱という迷信によるのではなく、計算と技術によって高層ビルの建築や護岸工事を行ないます。また、社会秩序を、キリスト教やイスラム教あるいは神道、仏教など宗教の教義にしたがって形成するということはなくなってきました。世界中の人々が人種や宗教によって不利益をこうむることのない平等な社会秩序が求められています。
言ってみれば、非宗教的な秩序や技術によって社会が形成されるようになっています。
それでは、この社会で生きる一人ひとりの人間はどうでしょうか。神を無いものとして平安に生きていけるのでしょうか。
「人はパンだけで生きるものではない。
神の口から出る1つ1つの言葉で生きる」
これは、マタイ福音書4:4にあるイエス様が語った有名なみ言葉です。
人は、パンだけによるのではなく、神とともに生きる宗教的な存在である。人はビルとは違う。計算によって揺るぎないものになるのではなく、神とともに生き、神の言葉に支えられて平安な人生を生きるものであるとおっしゃいました。
人は神を見出して確かな人生を得ることができます。