いかがおすごしですか。三川栄二です。
わたしたちが人生をたどっていく間には、時として「嘆きの谷」と言えるような、深い悲しみの中を通り過ぎるときもあります。心がえぐられるような悲しみに深く傷ついて、しばらくは立ち上がれないと思うほどの悲しみを味わうこともあります。その渦中にあるときには、だれとも口を利きたくないし、だれからも話しかけてもらいたくないと、心をふさいでしまうこともありましょう。そんなとき、聖書のこの約束に思いを向けていただきたいと思います。
「嘆きの谷を通るときも、そこを泉とするでしょう。雨も降り、祝福で覆ってくれるでしょう」。詩編84編7節です。新改訳聖書では、「彼らは涙の谷を過ぎるときも、そこを泉のわく所とします」と訳されています。
嘆きの谷、涙の谷を過ぎ行くときも、そこに恵みと祝福の雨が降り注がれて、心を癒し、命を潤す命の泉が湧き出るところとしてくださるというのです。わたしたちは、涙が枯れるほどの深い悲しみに出会うこともありますが、神は、その涙の谷に泉を湧き出させてくださり、嘆きの谷を祝福の泉にしてくださる。そして心が癒され、潤うほどの恵みの雨をそこに降り注ぐと約束してくださるのです。たとえ嘆きの谷を通るときも、神はそこを泉とし、祝福の雨で覆ってくださる、そのことを信じて、たとえ今日、涙の谷を過ぎるとしても、そこを力強く歩んでいきましょう。