お元気でいらっしゃいますか。江尻美穂子です。
昨日はいのちの誕生について考えましたが、今日はそのいのちを誕生に到る前に中絶することについて考えたいと思います。戦後、日本では人口の増えるのを防ぐためにある一定の条件の下に人工妊娠中絶を合法化しました。今から50年ほど前には届け出られた中絶数が年間100万を超えており、しかも実際はその二,三倍の中絶が行われたともいわれています。現在は年間約30万の届け出となっていますが、キリスト教会の中で、こうした問題がオープンに論じられることはあまりありませんでした。
人間のいのちをいつから人間のいのちとして認識するか、精子と卵子の結合が完了し母胎に受精卵が着床して成長を始めた瞬間からか、あるいは胎児が母胎から生まれ出た誕生の瞬間からか、など様々な意見があります。もし、後者と考えるならば、中絶は、人間のいのちを中絶することにはならず、あまり抵抗はないかもしれません。しかし、まだ胎動も感じない三ヶ月未満の胎児を中絶する場合も、もし中絶しなければ一人の子どもの誕生に到ると考えると、多くの女性達は自分の子どもを死に至らしめたという気持ちから、涙を流したり、時には罪悪感からノイローゼになる人たちもいるのです。
神様は中絶をどのようにお考えなのでしょうか。これについて一般的な答えはないと思います。一つ一つのケースについて、各人が深く考え、祈って決断するほかないのです。そのために熟練したキリスト教信者のカウンセラーが必要です。医療技術や新薬の開発により、中絶はますます簡単に行えるようになるでしょうが、産めないからと気軽に中絶するのではなく、産める状況を整えることをまず考えることが大切なのではないでしょうか。