お元気ですか。横浜中央教会の立石章三です。
さて生卵とゆで卵の見分け方をご存知ですか? テーブルに置いて回転させてみれば分かります。生卵は中身の液体がブレーキとなってすぐ止まってしまいます。ゆで卵は全体が一つの固体ですから、こまのようにいつまでも回転しています。
さて、信仰はこまに譬えることができます。どんなに遅い回転であろうと、こまは回ってさえいれば立っていられます。つまりどんな信仰であろうと、日曜日の礼拝やお祈りや聖書を読むことが、たとえ細々とした動きであろうと、それが継続していれば信仰が涸れてしまうことはありません。教会から離れないこと、これが肝心ですね。それでは教会はどのように回転しつづけているのでしょうか。
教会には様々な人がいます。考え方も、価値観も、生活も、経済状態も、家族構成も、みなばらばらです。決してゆで卵のように一体になってはいません。いわば教会と言う卵の殻の中は固まっているのではなく、流れる液体のようなものです。ですから時として回転にブレーキをかけることもあります。問題なのは、教会の中の信仰の一致が何によってできているかです。イエスはこう言われました。「私はまことのぶとうの木、あなたがたはその枝です。私にとどまりなさい。私もあなたがたの中にとどまります」。一人一人のクリスチャンを結ぶ共通点はキリストです。一人一人がお互いを見つめるのではなく、キリストを見上げる時、信仰の一致が与えられます。教会といえども人間の集まりです。気の合わない人がいるかもしれません。けれども「あの人も、イエス様が自分の命をもって買い取られた、イエス様にとって大切な人なんだ」と思う時、私とあの人の共通の救い主、イエスを見上げることができるのです。