ごきげんいかがでしょうか。江古田教会の風間義信です。
まもなく春分の日を迎えようとしていますが、この季節の変わり目に、キリスト教会では来週、受難週という大切な時を迎えようとしています。受難週、難を受ける一週間ということですが、これはイエス・キリストの受けられた十字架の苦しみ、このことを深く思う時です。ではいったいそれは何のための苦しみだったのでしょうか。
イエス様は、ある時「あなたたちは自分の罪のうちに死ぬことになる。」(ヨハネ8:21)と言われました。聞きたくない嫌な響きですね。でもそれだけ大きな罪ですので、イエス様の苦しみも簡単なことではありませんでした。言われているように、私たちの罪は死に至るものです。人が必ず死ぬのはその罪の結果です。ですから「あなたたちは自分の罪のうちに死ぬことになる。」というわけです。
でもイエス様と言うお方は、無責任にそう言い放って終わるのではありません。それこそ死に追いやる罪を私が身代わりになると引き受けてくださり、解決してくださったのです。それが十字架によって表された苦しみです。
確かに私たちはいつか肉体の死を迎えなければなりません。けれども自らの罪によって死ぬのではなく、苦しみはすべてイエス様に負っていただきました。あとは平安の中に憩うことが許されているのです。