メッセージ: サタンの妨げの中で(1テサロニケ2:17-3:5)
ご機嫌いかがですか。キリスト改革派教会提供あすへの窓。「聖書を開こう」の時間です。今週もご一緒に聖書のみことばを味わいたいと思います。木曜日のこの時間は、キリスト改革派教会牧師の山下正雄が担当いたします。どうぞよろしくお願いします。
最近、わたしは明治の初期に日本へやって来たある宣教師の書簡集を読む機会を与えられました。新約聖書の書簡と比べると、時代もずっと現代に近く、また手紙の発信地も日本ですから、新約聖書の手紙と比べればずっと理解しやすいはずです。ところが、当時のことを手に取るようにわかっていないと、手紙の細部まで理解することはなかなか難しいものです。たかだか百年ちょっと前の手紙でさえ、そうなのですから、パウロの書いた手紙となると、なおのこと難しい個所があるとしても不思議ではありません。
きょう取り上げようとしている個所は、そこに描かれているパウロのテサロニケの教会を思う気持ちは手に取るようにわかるのですが、具体的に何が起っているのかは、当事者たちだけにしかわからない、もどかしい個所です。
それでは早速今日の聖書の個所をお読みしましょう。きょうの聖書の個所は新約聖書テサロニケの信徒への手紙一 2章17節から3章5節です。新共同訳聖書でお読みいたします。
「兄弟たち、わたしたちは、あなたがたからしばらく引き離されていたので、・・顔を見ないというだけで、心が離れていたわけではないのですが・・なおさら、あなたがたの顔を見たいと切に望みました。だから、そちらへ行こうと思いました。殊に、わたしパウロは一度ならず行こうとしたのですが、サタンによって妨げられました。わたしたちの主イエスが来られるとき、その御前でいったいあなたがた以外のだれが、わたしたちの希望、喜び、そして誇るべき冠でしょうか。実に、あなたがたこそ、わたしたちの誉れであり、喜びなのです。そこで、もはや我慢できず、わたしたちだけがアテネに残ることにし、わたしたちの兄弟で、キリストの福音のために働く神の協力者テモテをそちらに派遣しました。それは、あなたがたを励まして、信仰を強め、このような苦難に遭っていても、だれ一人動揺することのないようにするためでした。わたしたちが苦難を受けるように定められていることは、あなたがた自身がよく知っています。あなたがたのもとにいたとき、わたしたちがやがて苦難に遭うことを、何度も予告しましたが、あなたがたも知っているように、事実そのとおりになりました。そこで、わたしも、もはやじっとしていられなくなって、誘惑する者があなたがたを惑わし、わたしたちの労苦が無駄になってしまうのではないかという心配から、あなたがたの信仰の様子を知るために、テモテを派遣したのです。」
きょうの個所を読んで、現代のわたしたちにもすぐにわかることがいくつかあります。それは、パウロたちがテサロニケの教会から「引き離された」という気持ちでいること。実際、テサロニケの教会を訪問しようと何度も試みますが、何かの妨げにあってそれが実現できないでいること。そのような訪問を必要としているのは、テサロニケの教会が直面している苦難のためにその信仰を励ます必要があること。しかもそれは放置しておくことができないほどに緊迫した状況であること。そしてついにはテモテを派遣するに至ったことなどです。
こうしたアウトラインは直ちに描くことができるのですが、細かなこととなると、見えてこない分部もたくさんあります。たとえば、どうしてパウロたちはテサロニケの教会から「引き離された」という思いになっているのか、この辺の事情は何一つ書かれていません。あるいは「サタンによって妨げられた」と言われていますが、具体的にはどんなことがそこで起ったのか、手紙の中には手がかりとなるものは見出せません。あるいは予告していた苦難が具体的にはどんなことなのかもわかりません。
そこで、この手紙と一番関係が深い、使徒言行録17章に記されたテサロニケ伝道とその後のいきさつとを読み比べてみると、なるほどそうかもしれないとうなずける分部が見えてきます。パウロたち一行がテサロニケを離れたのは、自分たちの意思でも計画でもなく、キリスト教に反感を抱く人たちの敵対的な行動が原因であることが、使徒言行録には記されています。このキリスト教に反対する勢力の人々は、クリスチャンとなったヤソンの家を襲撃するほどでした。しかも、パウロたちがテサロニケを離れて次の伝道地に向かっても、なお押し寄せてきて妨害行為を働いたわけですから、「引き離された」とパウロが感じるのは無理もありません。
新共同訳の翻訳では、「引き離されて」と訳されていますが、言葉のもともと意味は「孤児とされた」というニュアンスを含む言葉です。テサロニケを後にしたパウロたちは、自分たちがいわば父親の居ない孤児のようだと表現しているのです。本来ならば教会を育てる指導者を失ったテサロニケの教会こそ「孤児となった」と表現されるべきでしょうが、パウロたちの気持ちから言えば、自分たちもまた孤児のような気持ちで過ごしているということなのです。
そこで、何度もテサロニケの教会を再び訪問しようと試みたと手紙の中では言われていますが、残念なことに、使徒言行録にはその次第がまったく記されていません。訪問の計画があったことも、またその計画がサタンによって挫かれたことも使徒言行録には記されていません。
そればかりか、アテネからテモテだけをテサロニケへ遣わしたと語る手紙の記述も使徒言行録の方にはまったく手がかりとなるものがありません。それどころか、テサロニケを後にしたパウロたちの行動を、使徒言行録とテサロニケの手紙とで比べて見ると、もはや細かい分部をすり合わせて比べることが出来ないくらい、両者の記述は食い違っています。
もちろん、ここで、どちらかの信憑性を疑い、記事を取捨選択して歴史を正確に描くことがわたしたちに求められていることではありません。また、パウロも歴史資料を残すために手紙を書いたわけではありません。出来事の細かい分部については結局のところわからないままです。しかし、少なくともはっきりしていることは、パウロたちがテサロニケの教会を心から思い、心配しているということです。
この手紙を受けとったテサロニケの教会の人たちには、パウロがこれらのことを書いた細かな事情は言うまでもなく理解できたことでしょう。しかし、テサロニケの教会の人たちが受け取ったのは、歴史的な細かな事情ではなく、自分たちのことを思うパウロたちの教会に対する豊かな配慮の気持ちだったことは言うまでもありません。
きょう取り上げた個所は、現代のわたしたちには細かな事情が飲みこめないためにもどかしさを覚えます。しかし、テサロニケの教会を思い、心配し配慮するパウロの姿は非常にはっきりと窺い知ることが出来ます。
もちろん、教会をサタンの攻撃から守って下さるのは神ご自身です。しかし、神は多くの働き人を通してそのことを実現してくださることを覚えたいと思います。一人一人ができることは違いますが、一人一人が神の器として教会の成長を願い、祈り支えていきましょう。
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