キリストへの時間 2004年11月21日放送    キリストへの時間宛のメールはこちらのフォームから送信ください

泥谷 ちひろ(山田教会牧師夫人)

泥谷ちひろ(山田教会牧師夫人)

メッセージ: あなたはどこにいるのか

 おはようございます。

 幼かった頃、お母さんにしてはいけないと言われたことをしてしまって、「どうしよう」と思い、戸の蔭に隠れたり、知らない振りをして、あっちに行って遊んだりして、やがてお母さんが帰って来て「〇〇ちゃん、どこにいるの?――こんなことをしてしまって・・・」とか言われ、何かひっくり返したり、こぼしたり・・・といった様な事はどこの家でもよくある事です。幼い子どものした事は汚れなきいたずらで済ませてしまうかも知れません。

 以前に「汚れなきいたずら」という映画を見ました。ある貧しい子がカトリックの僧院で世話をしてもらっていた時、誰もいない台所に入って来ておいしそうなパンを見つけました。その長いコッペパンは切って置いてあったのですが、中の方を一つもらって、隙間の空いた所を、長いパンをポンと寄せて一本のパンになるようにした所は、あの映画を見た方は愛くるしい男の子の顔とその上手なやり方を懐かしく想い出されることと思います。汚れなきいたずらとは言え、誰もいない時にこっそりやってしまったこと、神さまは必ず見ておられます。勿論この映画のポイントはまた別のことでしたが。

 旧約聖書では、あの有名なアダムとエバが食べた木の実のお話はこう言っています。「園のすべての木から取って食べなさい。ただし善悪の知識の木からは決して食べてはいけない。食べると必ず死んでしまう。」けれどもアダムに神さまが助け手として与えて下さったエバは蛇の誘惑に負けて、先ず自分が食べ、アダムにも渡し、彼も食べました。それまで何の不自然さも感じないでいた二人は裸であることを知り、恥ずかしくなり、いちじくの葉をつづり合わせたもので腰を覆いました。神さまが近くに来られる気配を感じると二人は神さまの顔を避けて、園の木の間にかくれたのです。神さまはアダムを呼ばれ、「どこにいるのか。」と言われました。これは創世記の3章にありますが、もう一つの事件が4章にもあります。アダムとエバに長男が産まれ、カインと名づけられ、またもう一人弟が産まれて、アベルと名づけられました。兄カインは土を耕す者となり、弟アベルは羊を飼う者となりました。時が経ち、二人は神さまに献げ物を持って来たのですが、兄カインは地の産物を持って来ました。弟アベルは羊の群れの中から肥えた初子を持って来ました。これは最高の物でした。神さまは弟アベルの献げ物に目を留められましたが、カインとその献げ物には目を留められませんでした。カインは激しく怒って顔を伏せました。カインがもし地の産物の中から最高の物を献げたのなら、神さまはカインの献げ物にも目を留めて下さったでしょう。さて、後日カインは弟アベルを野原に誘い出し、弟を殺してしまいました。神さまの言葉があります。“主はカインに言われた。「お前の弟アベルはどこにいるのか」”

 私たちがどんなに悪いことをしても、どんなに善いことをしても、人が見ていても、いなくても、神さまは見ておられます。日常のニュースの中でも、このことをよくわきまえていれば問題ももっともっと少ない世の中になるのではないでしょうか。事実を言ってしまったら会社の信用問題に関わると事実をかくし通そうとしても却って事は重大な結果になります。神さまは見通しておられます。人を批判している自分自身も注意しなければならないと思います。

 詩編139篇のみことばの一部を読んで終りましょう。

    どこに逃れれば御顔を避けることが出来よう。
    天に登ろうとも、あなたはそこにいまし
    陰府に身を横たえようとも 見よ、あなたはそこにいます。
    海のかなたに行き着こうともあなたはそこにもいます。
    闇の中でも 主は わたしを見ておられる。
    夜も光がわたしを照らし出す。
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