キリストへの時間 2004年11月7日放送    キリストへの時間宛のメールはこちらのフォームから送信ください

泥谷 ちひろ(山田教会牧師夫人)

泥谷ちひろ(山田教会牧師夫人)

メッセージ: あなたの目標は?

 多くの皆さまがしていらっしゃる事と思いますが、目標をもって計画をたてるプランニングの時間は私の生活の中で大切な一部分です。一日毎の目標、一週間、一ヶ月、半年、又は一年と−。先ず教会のこと、子どものいた時は子どものことや家族のこと、家計のこと、買物や献立のことなど、いろいろあります。一つの目標を達成すれば、次の目標に向って進みますが、近いすぐ先の目標をもち、また少し先の目標をもち、更にもう少し先の目標をもちます。

 親であれば子どもの将来のことを皆考えます。「這えば立て、立てば歩めの親心」と言いますが、このように次々と新しい目標を持つようになります。

 学校に行くようになると一流校を目指してよい塾に行くことを目標にする人もあるでしょう。就職の面では最近は以前のように一流商社や銀行や証券会社は目標とされなくなりました。タレントとか音楽、芸術、教師、政治家、ハイテク産業の先端を目指すとか、あるいはイチローや松井のような運動選手になりたいと思っている子どもも結構いるようです。イチローや松井のようになれる人は極一握りなのにアメリカにも野球チームに入って、スポーツクレイジィーファミリーと言われる程の人達がいるそうです。

 将来に向けて夢を持ち、目標を持つ事は素晴らしいことです。しかし、あなたは最も大切な最終の目標を持っておられるでしょうか。私たちイエス・キリストを信じる者は本当の天国を目指しています。そこでは病も苦しみや悲しみもなく安心と平安が約束されています。そこに到達するのには入場料も要りません。イエス・キリストを信じるなら誰でも入れるのです。そのためにイエスさまは遣わされました。

 最近は「天国」という言葉があまりにも自由に使われ過ぎています。イエスさまを信じていないのに「天国へ行った」と言う人、その人達はどんな天国を描いているのでしょうか。仏教で言う極楽に行くには長い長い旅をすると言われているから、キリスト教で言われているすぐ行ける「天国」という言葉を借りているのでしょうか。格好いいからでしょうか。天国へ行ったと言い乍ら、何故霊が迷い、供養しなければ祟ると言うのでしょうか。イエスさまを信じていなくて、仏教の言う「極楽」を信じるなら、「極楽へ行った」とは言えませんが、「極楽への旅に出掛けた」と言うのが正しいのではないかと思います。

 天国の門については聖書の中で多くの箇所で教えられていますが、特にヨハネによる福音書10章に、「羊の囲いに入るのに、門を通らないでほかの所を乗りこえてくる者は盗人であり、強盗である」ということばがあります。イエスさまは言われました。「私は門です。」

 私たちは自分の目標がスポーツ選手であれ、芸術家であれ、医師や教師、又は政治家、あるいはある種の商売であれ、最終の目標は本当の天国でなくてはなりません。

 自分には何の目標もないという方がもしおられたなら、あなたは今、キリストへの時間に招待されているのですから、天国への門を目標にして、聖書を手にとって読み始めて下さることをお奨めいたします。

 あなたさまの上に神さまのお導きがありますように。

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