おはようございます。山下正雄です。
イスラエルという国があります。中東世界の火種となっている国です。今、国際社会はこの国のことで大変憂慮しています。かつて旧約聖書の時代に、この国とまったく同じ名前の王国がありました。当時の国際社会の激動に押し流されて、消滅してしまった国です。その国の名前の由来をたどっていくと、一人の人物に行き着きます。アブラハムの孫、ヤコブという人物です。この人は神から新しい名前をいただいてイスラエルと名乗るようになったのです。
イスラエルとは、もともとは「神は戦い給う」という意味の言葉です。しかし、ヤコブが神からこの名前をいただいたのは、神がヤコブのために戦ったからではなく、ヤコブが神と戦ったからでした。
20年間故郷を離れていたヤコブが、再びふるさとに戻る道すがら、不思議な事件に遭遇したのです。一族を先にヤボクと呼ばれる渡し場でわたらせたあと、ヤコブは一人その場に残っていました。すると何者かが現れて、夜明けまでヤコブと格闘をしたというのです。物取りでしょうか、それとも、追いはぎでしょうか。いいえ、どちらでもありません。神が姿をあらわし、ヤコブと格闘をしたのです。
戦いはヤコブが優勢でした。しかし神には人知を超える力がありました。ヤコブの腿の関節を一打ちするだけで、その関節をはずしてしまうことが出来たのです。それでもなお、なお格闘は続きます。あたりが白み始め、夜が明けて来ます。
戦いの相手はヤコブに懇願するようにこう言います。
「もう去らせてくれ。夜が明けてしまうから」
なんとも不思議な話です。いえ、何とも腑に落ちない終わり方です。なぜ、神はヤコブに現れ、格闘を挑んだのでしょうか。なぜ、神は勝負をつけずに帰ろうとするのでしょうか。いったい何のためにこんなことをしたのでしょうか。
それは、この後に続く神とヤコブの会話の中にヒントが示されています。「さらせて欲しい」と願う相手に対して、ヤコブはこう答えました。
「いいえ、祝福してくださるまでは離しません」
ヤコブにとって、この格闘はただの力の競い合いではなかったのです。体をぶつけ合う取っ組み合いのようでありながら、しかし、ヤコブにとってはそれは上からの祝福を求める祈りの戦いだったのです。
考えてもみれば、神はかつてヤコブに対してすでに祝福を約束されているのです。その約束を信じてさえいれば、わざわざ神と戦って祝福をもぎ取ることなどする必要もないことです。ヤコブはなかなか約束を守ってくださらない神を相手に、祝福をせっついているのでしょうか。
ヤコブのしたことはそんな浅薄なことではありません。故郷を離れて20年、苦しみの中にありながらも神からの祝福は十分すぎるほどヤコブの上に注がれて来ました。ヤコブ自身もそれをよく知っていたはずです。むしろ、祝福を求めるヤコブの戦いは、自分との戦いであったといってもよいかもしれません。
ヤボクの渡し場を渡るとき、その向こうで自分を待っているものは、自分に対して敵意と恨みを抱く兄エサウです。殺されるかもしれないと思う恐怖の前に、この土地に必ず連れ帰ると約束される神の約束を反故にして、伯父さんのところへ逃げ帰りたい心境だったことでしょう。しかし、ヤコブは必ず祝福してくださる神を頼ろうと、疑う気持ちを跳ね除けて、神に全身をぶつけて祝福を求めているのです。自分の信仰が弱りそうなときこそ、祝福を求めて神と戦いましょう。