キリストへの時間 2004年7月4日放送    キリストへの時間宛のメールはこちらのフォームから送信ください

山下 正雄(ラジオ牧師)

山下 正雄(ラジオ牧師)

メッセージ: 逃げ出したくなるような恐れの時にも

 おはようございます。山下正雄です。
 後にイスラエルと呼ばれるヤコブは、イスラエルの12部族にとっては生みの親とも言うべき偉大な人物です。しかし、その生涯の大部分は辛い生活を余儀なくされました。それも、自分でまいた種から出た辛い生活だったのです。若い頃に親元を離れ、伯父さんのもとで20年もの長い間、働きながら暮らしていたのです。故郷に帰れば、自分のことで怒り狂っている兄が待っています。いえ、20年も経てば、ひょっとすると兄の怒りも収まっているかもしれません。もう、自分に対する恨みの気持ちも消え去っていることでしょう。
 これからお話するのは、20年ぶりに故郷に戻るヤコブ一族のお話です。

 道々、ヤコブは使いを遣わして、兄の機嫌をうかがわせます。自分を僕と呼び、兄をご主人様と呼ぶほどの気の遣いようです。これはただ兄エサウのご機嫌を取るための演技ではなかったでしょう。かつてのヤコブならこんな気の使い方はしなかったかもしれません。兄を騙してでも故郷に足を踏み入れたことでしょう。20年の歳月がヤコブの内面をより豊かなものに変えたのでしょう。今は兄の心を伺う優しさも身に付けています。
 と同時に、20年前、怒り狂った兄が口にした言葉を思い出すと、やはり兄に対する恐れは消えません。
 「父の喪の日も遠くない。そのときがきたら、必ず弟のヤコブを殺してやる。」
 ヤコブが兄エサウのところに使いを遣ったのは、この兄の敵意が、今なお自分に向けられているのか、何よりも確かめたかったからです。ヤコブは20年経った今も兄のことを怯えていました。それが証拠に、使いの者たちの報告を悪い方へ悪い方へとしか受けとめる事が出来ませんでした。
 「兄上様の方でも、あなたを迎えるため、400人のお供を連れてこちらへおいでになる途中でございます」
 この言葉を聴いた途端、ヤコブの心は恐怖に慄きます。使いの者の報告では、兄エサウが敵意をもってヤコブを迎え撃とうとしているのか、それとも長年生き別れていた兄弟を懐かしむ気持ちで歓迎しようとしているのかわかりません。しかし、少なくともヤコブには兄が敵意をもって自分を迎えようとしているのだと思えたのです。それほどにヤコブの心は兄エサウのことで怯えていたのです。
 「やはりここは思いとどまって、伯父さんのところへ引き返した方がよいのか」、ヤコブにはそんな思いもよぎったかも知れません。しかし、夜逃げするように出てきた伯父さんの家へ、今さら引き返すことも出来ません。
 ヤコブはこの危難の時に、神に祈り求めます。これは苦しい時の神頼みなのではありません。ヤコブが祈る相手は、杖一本しか頼りになる物を持たない自分をこの20年間守り支えてきた神です。ヤコブにとってはこの20年間はどの日をとっても神が共にいてくださった日々なのです。神の存在を思い出したように祈っているのではありません。確かに共にいて下さることを実感できる神に祈っているのです。
 ヤコブは神がかつて約束してくださった言葉を思い起こし、今まで自分を支えてきた神の恵みに信頼して祈っています。

 恐怖が襲い掛かるとき、逃げ出したくなるような気持ちになるとき、わたしたちを今に至るまで支えてくださっている神に祈りましょう。たとえ杖一本しか持たない身であったとしても、神はわたしたちを励まし、勇気と平安とを与えてくださいます。共にいることを約束して下さった神は、きょうもあなたの側にいてくださいます。

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