キリストへの時間 2004年6月6日放送    キリストへの時間宛のメールはこちらのフォームから送信ください

山脇 栄子(清和女子中高等学校教頭)

山脇 栄子(清和女子中高等学校教頭)

メッセージ: 口から出ることば

 おはようございます。清和女子高校の山脇です。こうして皆様と日曜日に朝のひとときを過ごすことができますことに感謝致します。

 さて、皆様はこの放送をどこでお聞きでしょうか。台所・仕事中・ベッドの中・車の中・病院のベッド・旅先、様々な状態でお聞きになっていらっしゃることでしょう。
 先日思いがけない所で思いがけない人に、この前に日曜日に、ラジオであなたの話を聞きましたよ、と声をかけられ、驚きと喜びの入り交じった不思議な気持ちになりました。目の前に居る人と話をしている時は、その人の表情やしぐさで、又、語る人の目や表情で、言葉以上の表現を感じ取ることができますが、このラジオ放送では、聞いている人の表情は見ることができないために、語られる一つ一つの言葉から全てを理解して頂かなければならないこと、また、どなたがこの放送をお聞きになっていらっしゃるか、わからないという点に、あらためてこのラジオ放送の難しさと、その働きの責任の重さを感じてしまいました。聖書に書かれている一つ一つの言葉を正確にお伝えすることの難しさ、自分の口から出る言葉の一つ一つによって、人が励まされたり、傷つけられたりすることも日常生活の中で、よく経験することです。今日はマタイによる福音書の15章11節に「口に入るものは人を汚さず、口から出てくるものが人を汚すのである」という言葉を覚えたいと思います。自分の口の中に入るものは、自分で消化して身体の外に出てしまうけれども、自分自身の口から出される言葉は、自分自身の感情を表に表す事であり、ここちよい言葉であっても、悪意があったり、偽証であったりすることがあります。

 同じマタイに福音書の15章17節から後には、このように書かれています。「すべて口に入るものは、腹を通って外に出される。しかし口から出てくるものは、心から出てくるので、これこそ人を汚す、悪意、殺意、姦淫、みだらな行い、盗み、偽証、悪口などは、心から出てくるから、これが人を汚す。しかし、手を洗わずに食事をしても、そのことは人を汚すものではない。」と書かれています。

 私達は人から悪口を言われた場合は、心に深く傷つき、落ち込んでしまい、数日、または数ヶ月、何年もその言葉が心を沈めてしまうことがあります。しかし、また、人に言われた言葉によって、慰められ、勇気づけられることもあります。
 私達はお互いの言葉のやりとりが、お互いの立場に立った、心から相手のことを思いやる言葉をかけることができるなら、どんなにかすばらしいことでしょう。イエス様は、そのような人の弱い点を十分に理解して下さり、いつも塩で味つけされた言葉を選びなさい。そして「悩んでいる者は私の所に来なさい。なぐさめてあげよう。」と声をかけて下さっております。私達は、この聖書の一言一言によって救われ生命が与えられていることを覚えて、日々の生活の中では、自分の口から出る言葉の一つ一つが相手の立場を理解し、慰めと勇気を与えるものでありたいと思います。

Copyright (C) 2004 RCJ Media Ministry All Rights Reserved.