キリスト教会は、古くからその信ずるところを信条という形で世の中の人々に明らかにしてきました。使徒信条という信条の中でも古いものは、父・子・みたまの三位一体の神による救いのみ業が告白されています。そして、その信仰告白の中心は、イエス・キリストの十字架と復活に示された神の愛です。ですから、キリスト教会の教えは、このような歴史上の信条という小さな信仰告白の言葉を学ぶことをとおしても多くを教えられます。
わたしたちの日本キリスト改革派教会は、1946年の4月29日に創立されました。戦争の間、人々に十分に福音を宣べ伝えることのできなかったことを恥じ、人々の救いのために立ち上がった者たちによって志されたものです。そして、世界中のキリスト教会と同様に、キリストを告白する使徒信条を教会の信条として告白し、また、歴史において告白された多くの信条を重んじています。
イエス・キリストは「わたしが来たのは律法や預言者を廃止するためだ、と思ってはならない。廃止するためではなく完成するためである。」と言われました。
この「律法や預言者」とは、聖書の全体のことです。つまり、聖書の言葉の全体は、イエス・キリストが世に来られたことによって、むしろ、完全に明らかになったと言うのです。それは、聖書全体の教える、神への愛と隣人への愛を、イエス・キリストが十字架の死に至るまで、完全になし遂げて全うしてくださいました。
ですから、イエス・キリストは「あなたの敵を愛しなさい」とか、「人にしてもらいたいと思うことは何でも、人にしなさい」と命じられ、ご自身がみずからすすんでなさったまったき愛を受け入れることによって、少しでも、その愛にかなう生活をするようにわたしたちをさとされるのです。
キリストの愛を宣べ伝えたパウロという人は、愛を告白してこう言いました。
「愛は忍耐強い。愛は情け深い。ねたまない。愛は自慢せず、高ぶらない。礼を失せず、自分の利益を求めず、いらだたず、恨みを抱かない。不義を喜ばず、真実を喜ぶ。すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてを耐える。」
「信仰と、希望と、愛、この三つは、いつまでも残る。その中で最も大いなるものは、愛である。」と。神は、この神への愛と隣人への愛を律法という愛のおきてにおいてわたしたちに命じてくださいました。
イエス・キリストは、「わたしの愛にとどまりなさい。わたしが父の掟を守り、その愛にとどまっているように、あなたがたも、わたしの掟を守るなら、わたしの愛にとどまっていることになる」とキリストのもとに来る人々にご自身の愛による平安を約束してくださいました。昔、神に従った人は、「わたしの魂はあなたの定めを守りそれをどこまでも愛します。」と誓いました。
わたしたちは神の愛のおきての完全な要求を知るとき、とてもその愛の完全さに適わない者ですが、神はキリストにおいてわたしたちを慈しみそのやさしいみてをもってその愛に適うように助けて導いてくださるのです。
キリストの愛のもとにすべてをゆだねる人は本当に幸いです。