キリストへの時間 2004年4月18日放送    キリストへの時間宛のメールはこちらのフォームから送信ください

宮武 輝彦(芸陽教会牧師)

宮武 輝彦(芸陽教会牧師)

メッセージ: キリストの言葉を信じつつ

 イエス・キリストのよみがえられたことを宣べ伝えた人たちは、そのはじめから困難の連続でした。それは、復活という出来事が人々に信じがたいものであったばかりでなく、むしろ、当時の、異邦人というユダヤ人から見れば神の祝福の外にいるかに思われた人々にも、イエス・キリストの福音の力がもたらされている中でいやおうなしに生じたものでした。

 キリストの福音をたずさえて出ていった使徒たちは行く先々でイエス・キリストの十字架と復活を宣べ伝えました。そして、その時、ただキリストの十字架の事実を復活を宣べ伝えただけではなく、キリストの言葉、つまり、聖書の言葉を人々に語ったのです。
 はじめにイエス・キリストの復活を宣べ伝えた人々にとって、聖書とは、今日の旧約聖書でした。この旧約聖書には、イエス・キリストが、罪人を救うためにこの世に来られ、人々の心の闇を照らし、死から命へと人々を立ち帰らせるという、救いの言葉が語られています。そして、実に、イエス・キリストは、この約束のとおりこの世に来られたのです。
 今を生きるわたしたちは、この救いの約束のとおりこの世に来られたイエス・キリストの十字架と復活に示された神のご愛とまことを信じることによって救われます。それは、聖書の言葉を聞くことによります。

 イエス・キリストは「幸いなのは、神の言葉を聞き、それを守る人たちである」と言われ、聖書の言葉を、ただの良い教訓であり、あるいは、ただの貴重な記録であるとするような態度をいましめられました。むしろ、聖書の言葉は、神の言葉として、信仰によって聞かれ、守られることが大切なのです。
 ですから、キリストの使徒たちは、イエス・キリストの言葉を信じつつ、福音を語りました。それは、キリストの十字架と復活という恵みの出来事を証言しただけでなく、聖書の言葉によってあかしされ、聖霊の力によって人々の心の中に受け入れられ、人々の心に深い悔い改めとイエス・キリストへの信仰をもたらしたのです。

 ある時、エルサレムで礼拝をささげて帰る途中だった異邦人でエチオピア人の女王の高官は、馬車に乗って聖書のイザヤ書を朗読していました。するとこの時、聖霊に導かれた使徒のフィリポが馬車に走り寄り、そのイザヤ書を解説してその女王の高官に教えたのです。それは、「彼は、羊のようにほふり場に引かれていった。毛を刈る者の前で黙している小羊のように、口を開かない。」という言葉であり、フィリポは、この彼とは、イエス・キリストであり、信ずる者の身代わりとして、「羊のようにほふり場である」十字架に引かれて行ったと教えたのです。この女王の高官は、このフィリポの語る聖書の説き明かしを受け入れて、救われ、洗礼を授けられました。
 またほかの時、フィリピの町では、ティアティラ出身の紫布を商う人で、神をあがめるリディアという婦人も、使途パウロの語る聖書の教えを受け入れて救われ、洗礼を受けました。

 このように、イエス・キリストの十字架と復活は、旧約聖書によって論証されたばかりでなく、十字架のイエスこそ、本当の救い主であるという信仰の確信によって宣べ伝えられたのです。

 「実に、人は心で信じて義とされ、口で公に言い表して救われるのです。また、実に、信仰は聞くことにより、しかも、キリストの言葉を聞くことによって始まるのです。」
 この聖書の言葉、真理の言葉、いのちの言葉によって、イエス・キリストをわたしの救い主です、と信じる人はほんとうに幸いです。

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