復活ということは、なかなか信じられないことです。なにあろう主イエスのお弟子さんたちが信じられなかったのでした。「イエス様が生きておられること、マリアはその復活したイエス様を見たこと」を弟子たちに告げても彼らは誰も信じられなかったのでした。その後、ある2人の弟子たちに「イエス様が別の姿でご自身を現され」ましたので、「この二人も弟子たちに話しましたが誰も信じなかったのです。最後に、主イエス自ら11弟子が食事をしているところに現れて証明されて初めて彼らは信じたのでした。
弟子たちは、主イエスが生前3度もご自身の死と復活を予告しているのに、希望をもって信じ続けることができませんでした。弟子たちは悲しみの中で心が頑なになっていました。希望に対して、神の慰めに対して心を閉ざしていたということです。これはどんな神の言葉よりも、死の力の方が勝って強いということです。信仰者であっても、しばしば諦めの虜になっていないでしょうか。自分を取り囲む現実に心を奪われて、「主はおよみがえりになった」という言葉に耳を傾けられなくなってしまっているのです。
ところでマリアが復活の主にお会いしたことを弟子たちに告げたとき、誰も全く信じてくれなかったのですからその心はいかばかりだったでしょうか。私たちも聖書のお話を聞いてほしいと友達や家族を教会にお誘いする時に、同じような歯がゆさを覚えるのではないでしょうか。牧師も説教しながら、その神の言葉が伝わらないことに悲しみを覚えるものです。私は清和女子中高等学校で宗教主任として説教していますが、果たしてどれくらい伝えられているのだろうかと自信をなくすこともあります。そんな時兄弟姉妹から、「ひとりでも聞いていてくれる生徒がいるなら、その生徒のために語ればいいのでは」と励まされてまた続ける力となっています。
私たちの清和学園では毎年秋には、多彩なゲストをお招きして、チャペルデイを開催します。数年前に歌手の本田路津子さんをお招きしました。年配の方はNHKの連続テレビ小説の主題歌『藍より青く』でおなじみのある透き通る美しい声の持ち主ですが、居眠りをしていた生徒が大勢いたことが残念でした。講演の合間に路津子さんから聞いた話ですが、プロの歌手であった頃、毎日歌っていた、いや歌わされていた。その間は、選んだ道とはいえ、楽しいと思ったことがなかったそうです。ある時歌手をやめて、アメリカへ行って聖書の神の言葉に触れ、洗礼を受け、ご主人と知り合って結婚されます。落ち着いてから、自分にできることは何かを考えたとき、自分には「歌うことしかない」、歌をもって神を賛美し、喜びを伝えることに使命を感じ、もう一度今度は、福音歌手として立たせられて活動を続けられています。眠っているように思えた生徒たちの感想の中に、生徒たちの感想文の中に、「何曲かを歌われた中で、最後の歌が印象に残っている。曲もいいが特に歌詞が良かった」というものがあり、路津子さんも生徒の中に「集中して聞いていてくれる者がいたんだ」とても嬉しかったと言ってくださったことです。このような出会いに路津子さんは、また新たに力を得て、喜びをもって歌い続けることができることでしょう。このことを聞いた私たちもまた、喜びの歌を歌い続けることができるのです。
私たちは一人ではありません。主イエスにあって信じる兄弟姉妹の祈りと助けによって支えられ、力付けられます。キリストの教会は、復活の主によって建てられ、神の真実の言葉は命の言葉として信じる者に力を与え、証しし続けるのです。