いかがお過ごしでいらっしゃいますか。キリスト改革派教会提供あすへの窓。水曜日のこの時間はBOX190、ラジオを聴いてくださるあなたから寄せられたご質問にお答えするコーナーです。お相手はキリスト改革派教会牧師の山下正雄です。どうぞよろしくお願いします。
それでは早速きょうのご質問を取り上げたいと思います。今週は匿住所匿名希望の方からのご質問です。お便りをご紹介します。
ということなんですが、お便りありがとうございました。短いお手紙ですので、一概に『こうだ』ということをお話するのは難しいかもしれません。わたしはその先生のことを存じ上げませんし、あなたのこともこのお手紙に記されたこと以上に知っているわけでもありません。ですから、一般論でしかお話できないことをご承知置きください。
まずは牧師の立場から言えば、自分たちの教派の信仰とは明らかに異なる立場の書物や番組に、ある信徒が傾倒しているとすれば、当然、その人のことが心配になってきます。もちろん、その人の信仰歴や判断力の程度によって、その心配の内容も度合いも違ってきます。それはどんな教派の牧師であっても、信徒がどんな信仰に傾いているのか、心を配らないはずはありません。
そういう意味では、あなたの教会の牧師先生が、あなたがどんな番組を聴いているのか、どんな本を読んでいるのか、関心を抱いているのは当たり前のことと言えます。
しかし、その後、ゆだねられた群れの信徒一人一人の信仰が健全に成長するために、牧師として何をなすべきかということには、いろいろな手だてがあって当然です。
その先生のおっしゃるように、自分たちと立場の違うものには一切触れさせないと言うのも一つの方法です。しかし、それには少なくとも二つの前提が必要だろうと思います。その一つは、ほんとうに自分たちと信仰の立場が違っていると言うことです。もっともこれはそう簡単なことではありません。同じキリスト教会に属する諸教派が、一から十まで全部教えが違っているということなどありません。私自身、色々教派の先生のお話を聞いたり、本を読んだりしますが、「アーメン」と心から共感できる部分もあれば、『この部分はちょっと立場が違うかな』と思う部分もあります。一から十まで違っているのであれば、それはキリスト教会に属するのではなく異端です。そういう場合には一切を禁じるのは、当然です。
しかし、異端的教えではない場合にも一切を禁じる必要があると判断するもうひとつの前提があります。それは、それを読んだり聴いたりしている人に、違いを判断できる能力がないと認められる場合です。それぞれの教派にはそれぞれの歴史があり、信仰的な立場の違いもあります。そうした違いについて、正しく違いを判断したり評価したり出来ない人には、自分たちの立場のもの以外のものに触れさせることはあえてしないのが普通です。
しかし、そもそもあなたが自分で判断してキリスト教を信じたからこそ教会が洗礼を授けたのであれば、そのあなたに対して、「あなたは正しい信仰と正しくない信仰を区別出来ない」などと言ってしまうのは、矛盾したことになってしまいます。
繰り返しになりますが、私はあなたの教会の牧師先生のことも、あなた自身のことも、そして、どういう状況のもとで、そのようなことが言われたのか、まったく知りません。ただ、そこまでされるからには、よほどのことなのだとしか申し上げられません。
もっとも、私が牧師の立場であればどうするのか、と言うことであれば、私なりのやり方があります。
曲がりなりにも自分の判断でキリスト教を信じた人が相手であれば、一切を禁止することなどはしません。自分たちの教会の立場が何であるか、機会あるごとに教えると共に、どの点で他の立場と違うのかその点についても学ぶ機会を設けます。あとはその人が正しい判断を下せるように訓練し指導することです。
自分たちの立場以外の一切の情報を遮断して、自分で判断させることをしないとすれば、それは洗脳になってしまいます。洗脳によって自分たちの立場を教え込むことは簡単です。しかし、そういう方法で信徒を教会の中にとどめて置くことが、どれほど意味のある事なのでしょうか、疑問です。
もっとも、相手が子供であれば、また話は別です。子供にいきなり正しいものも間違ったものも一切の情報を与えて、自分たちで正しいものを選ばせるのは無理なお話です。まずは、正しいものを教え、同時に判断力を養うように訓練するものです。そういうことが一通り身についたなら、はじめて一人前の大人として、自分自身の判断にゆだねていくことでしょう。
これは私の想像ですが、おそらくあなたの教会の牧師先生からみれば、教会員まだまだ信仰的に未熟な子供のように思えるのかもしれませんね。そうであればこそ、有害な情報から守ってあげる必要があると判断されたのだと思います。きっといつか、教会員たちが信仰的に大人になったとき、今までとは違った扱い方をされるのではないかと思います。